手紙を書くこと
                      水戸合氣修練道場長 坂谷 康弘

 私は、20年以上、茨城県水戸市で合氣道を学んでいる。この度、合氣道の縁により、「気流」に寄稿する機会を得ることができた。内田先生、並びに徳島大学合氣道部に感謝申し上げる。
 長く合氣道を嗜むことにより、同時に内田先生との交流も20年を迎えようとしている。
 その間、色々とご指導をお受けした。人生の岐路に悩んだとき、悲しみに沈んだときにも、真っ先に相談した。内田先生は、その都度適切な言葉を探り、授け、自分の行動に指針付けをしてくれた。
 今年1月、茨城大学合氣道部OBOG会において、創始者で、かつ今でも合氣道をされている御年68歳になる先輩をお声をかけ、沖縄からお越しいただいた。50年前に、岩間で合氣道を始め、直接受けを取った大先生や若き日の齋藤先生の数々の思い出話をしていただいた。茨城には、齋藤先生のご葬儀以来、稽古は実に44年ぶりであるとのことだった。大先輩が来ることにより、例年以上のOBOGの参加となり、盛会のままお開きとなった。
 ここにも、内田先生のお力があった。
 内田先生は、合氣道の前に少林寺拳法を学び、宗道臣開祖の教えを大切にしている。内田先生に、合氣道を学ぶにはどうしたらいいかと問えば必ず返ってくる答えがある。
 「全部やること」
 ならば、内田先生を学ぶには、少林寺開祖の教えを学ばなければならない。貴重な講話のカセットテープを4本借りて、聞いた。
 講話であるから、話は長い。昨今の色々な社会や内部の出来事を上げながら、柔軟かつ誰もが正しいと納得する教えを導き、説く。口調は一定でなく、聴く者達の様子などから硬軟、強弱を適宜変えている。とても人間味のある、耳に、心に残る語りである。その講話の始めには、必ず、門下生からの手紙を紹介する。
 律儀であるとか書き方が甘いとか、いろいろ批評するが、開祖が直接読んで、感想を述べる。ただ言葉として伝えるのではなくて、文字として残すことは、文字を選ぶことで、考えを洗練、秀逸にできる。その研がれた文章を開祖は、さらに研いで答える。何も響かない文章、言葉は相手には通じず、応えてもらえない。手紙が相手の心の中までとらえるかが分かり、手紙の大切さを理解した。
 テープを聴いて、8年後。沖縄の大先輩にはメールではなくて、手紙を書いた。果たして結果は正解となり、上記のような実りあるものとなった。改めて、内田先生に感謝申し上げる。
 我々は日々合氣道を稽古する者であり、稽古が主であるが、それだけではない。どれだけ学んでいるかが、そのまま自分自身、自分の合氣道に還っていく。だから、不断の努力は欠かせない。先生から素直に傾聴し、思考する。そして、時には文字を打つのでなくて、書き送る。
 そうやって、さらに心の和を強く結びつけることも必要である。


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