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2012年度岡山満喫編
平成24年4月。
「かなり変わるぜ。」
「一新だ。」
内田さんからの電話。常に求道精神を忘れない、倦まず弛まずただただ進んでいく姿勢からこそ、自覚自得できたことの喜びに満ちあふれていた。
「ツキノコシ、だ。」
………?
…ツキミソウ。
…植物?
…ツキノワグマ。
…動物?
…月?
…月桂冠、コシノカンバイ。
…日本酒?
わからない。
与えられた言葉がそのままに理解できなかった。しかし、めげない。すぐに立ち上がる。
同じ求道者の一員として、悩みを解決するため、より進歩するため5月岡山行きがその場で決まった。
これは、突きの腰(ツキノコシ)を理解しようとする1年の物語である。
5月の岡山。
「半身にこだわることだ。」
齋藤先生から常に仰っていたこと。半身にこだわるこそ、さらにできること。
技が格段に違う。
技が一手二手も速くなる。
確実に正確に当てられる。
ただ、筋肉という一部を鍛えるのではない。『技』、『術』というものの視点で根本根幹から鍛える。鍛え直す。
だから、難しい。TARZANでよく春に、『夏までの3ヶ月でぽっこりお腹を変える』など特集があるが、それは表層筋肉であり、上っ面が良くても中身が薄っぺらでは、もてはしない。
一文字腰。
古武道の形から、さらなる半身の深淵、型の本質を知り、探り、自身の身体に還元していく。日本の武術で誇れるものは剣術である。剣の歴史は古い。古事記に神代から剣は登場しており、日本刀は製作も扱いも、独自に進化し、深化している。
「合氣道は剣から始まっている。」
大先生のはっきりとしたお言葉。大先生は多くの武道を研究し、合氣道を創始した。 岩間の修行は専ら剣であり、武器であったと直に二人きりで受けをした齋藤先生は述懐している。
半身は股関節が一直線。
真っ直ぐだから強い。
「大先生は半身を単に一重身と言った。」
大先生に半身と一重身の区別は無い。
しかし、『合氣道は円運動と理解されているようだが、真の気体技法では、むしろ直線的に相手の中心を突く鋭い技法(齋藤先生記)』であるから、相手の真中心に入る、自身の完璧な真っ直ぐさを求められる。
半身とは股関節に完全に乗ること。骨盤が十字にならず、半身の線に真っ直ぐ乗ること。
乗り、動いたときも、少しのブレ(前後左右)もしてはならない。
ぎこちない。
ガンダムでアムロが、エヴァでシンジが、いや、その先は言うまい。思うまい。
言葉では分かるが、難しい。
股関節に十分に乗ることによって、足が、体幹が、腕が、首が、身体が十全に動くことができる。
内田さん、朝稽古で日々習っているあすかに教わりながら、剣や杖を持ち、素振りで再構築していく。
武器を持つと、さらにぎこちなくなる。今までの一部の筋肉、身体だけの使い方を否定し、一新する。拳児が八卦掌をならったときのように思える。関節の少ないロボットのようだ。足を上げるのですら、武器を振りかぶり、振り下ろすにすら、極大な違和感を感じる。逆に、今まで深部まで身体を使っていなかったが分かる。
合氣道は剣から始まっている。剣が使えれば、杖も使える。体術も使える。磨かれる。しかし、剣を十全に動かすためには、身体が十全に動かねばならず、身体を十全に動かすためには体幹を十全に動かさねばならない。体幹が十全に動くためには、股関節にしっかり、ぶれなく乗りきらねばならない。
「乗り切るからこそ、少しも動かない。真っ直ぐ。」
「だから、剣先がピタッと喉元に来る。」
「大先生は立っていればいいと仰った。」
「天の浮き橋に立つ。」
「天之御中主神の顕現。」
言葉の片鱗は分かるが、難しい。
「一分一厘狂ってはいけない」と大先生は仰り、齋藤先生は何度も何度も大先生の形、型を細かく細かく指導してくれた。
完全を目指す。
武道という誰でも入れるが、難攻不落な頂を、しっかり踏みしめ、登頂可能にする、完全な技であり術の実践。
…難しすぎる。安易に行けるわけがない。
……投げたくなった。
しかし、内田さんはちがった。ガンバの冒険のように、しっぽを立てている。
「簡単にできちゃ、おもしろかねーべ。」
ニヤリと自信ありげに笑う。やる、やりきるという気概が移って、またまた元気をもらった。
学生時代から20年使っていた帯が切れそうなので、帯を新調した。
何を刺繍するかで、アドバイスをもらった。
我々は合氣道家だ。
『氣』の元の字は「无(無)」の下に「心(火の点4つ)」。
私に心がない、つまり私利私欲、我欲がないということ。
我が無いということは、宇宙であり、自然である。
つまり、氣と合わせることは、自然=宇宙と一体となること。
「我即宇宙」の大先生の言葉と一致する。
外字で作った帯で、さらにやる気になった。
困難で、かつ底知れぬ面白さを秘めている合氣道にさらに挑もうと誓った。
帰水後、のんぶや後藤さん、学生に、「岡山いつ行くの?」、「今でしょ。」の声を掛けた。たくさんの修行者がいれば、さらに還元できるものが広がる。
夏、学生4人を始め、岡山で学んできた者たちを捕まえて、情報を聞き出した。
未だ、分からない…。
しかし、意識をして、稽古を続けた。半身にこだわり続けた。
10月。
例年の岡山合同稽古。
今年も100名を超える、年に一度のお祭りの季節。
水戸からも年々岩間スタイル合氣道好きが増え、総勢18名が参加となった。
…。
ふと、気づく。
例年なら、土曜の朝から修行モードだ。しかし、学生等が15名以上いる。情報の伝達は直接が一番だ。
古事記は最古の書物であり、何事も記してある。
大先生も古事記を研究しなさいと仰っている。
古事記には武道もある。
国譲りの力比べで、手解きから始まり、次いで掴んで投げている。
つまり、掴み、かかり、食らわないと武道はさらに何も分からない。
今回から前倒しで、門下生1名と共に金曜から参加を決意した。
尺屈。
背屈。
回内。
すると、合氣の鍛錬ができるようになる。
「合氣の鍛錬は稽古の徳によって自然にできる。詳細は口述する。」
『武道』に大先生が記している。
武道には他にも『詳細は口述』と言う箇所が多数有る。
つまり口伝である。さらに言えば、言葉では言い表しつらい分、根幹となる大切なものだ。だから、直接の手解き、稽古でただただ徳を積んで、悟るしかない。
考えるのは脳だけではない。身体も知の一つとして、考えなければならない。
脳だけなら、妄想を呼ぶ。
機会がありながらも稽古に行かず、直接教えを乞わず、山に籠もり、勝手な想像で、大先生や大先生が直接残した技が分かるとは到底思えない。何の感慨も浮かばない。
…妄想は所詮、たった一片の、自分勝手な思いこみ。
力には成らず、技は芯に響かない。身体に伝わらない。
だから完全になるよう、必死に身体を動かして、頭を働かして、心を鎮めて、相手を慮って、万象に合わせてと意識、行動し、合氣道に則っていかないといけない。
これが修行だ。
実体、実感のある合氣道の修行によって、氣では無い、氣のみでは説明できない、より総合的で、合理的で、実践性、現実性のある、心技体一致の技を合氣道で示すことができる。
だから、肉体で直接みずみずしく、新鮮に感動する。
合氣道は剣。剣杖体術の一致。剣が速ければ、全て速い。二教も、三教も尺屈、橈屈、肩甲骨広げ動かして、さらに剣の扱いを上達させる。体術から剣術への還元も可能。より、理合が一致すれば、より速くなるのは自明だ。
5月以上の速さと強さ。
合氣の鍛錬を用いた呼吸法、捌きで、速さを超える。消す。
片手を掴んで、動いた時は、もう当て身が喉元に来ている。
武器も同じだ。
袋竹刀での組太刀は捌こう、受けようとしても、頭に、胴に、小手にパンパン当たる。
絶対的な速さ。
受けの速さは関係ない。その先を行く、絶対の先。
だから、ゆっくりもできる。
ゆっくり、まるで亀のように動いても、五感が、肉体が反応しない。必ず、一手遅れる。 『アキレスと亀』の現象。
遅速一致。
「大先生は歩いているように周りからは見えた。受けは何が起こったか分からなかった。」と言う。
あうんの呼吸ではない。受けが相手に合わせるのではない。
大先生が伝えた合氣道。
その広大な一辺を見た。
ただし、
「股関節に乗らねえと、技はできねえよ。」
との至言。
ツキノコシが再びもたげてきた。
合同稽古は肩取り。
無拍子で当て身を入れて、相手を殺した後、合氣道の技を楽しむ。一教、二教、呼吸投げ。より目的意識を持って、深く研究できる。
両肩取り呼吸投げは飛んだ。
かつての満喫編で最長不倒を記録したと書いたが、それを超えた。
中学二年のその時期ありがちな少々やんちゃな子が息を飲み、「すげえ…」と漏らした。
美しい技は人を魅了する。
100名の雄叫び、祭りは1時間余り続いて、誰も怪我することなく、お開きになった。
何故、学ぶのか?
それは生き残る率を上げるため。
和歌山毒入りカレー事件の際、保健所が食中毒と言ったのに、「おかしい。胃の洗浄をしろ」と訴えた親が自分の子を救った。
だから知識を深めるのは、絶対必要。
武道も絶対必要。
だから、日常的に学び、行ずる。
齋藤先生は歩きながら、よく両手首を回していた。回内と回外、尺屈の強化。全ては合氣道に結びついている。
合氣道は全ての知識、知恵を集めた総合的な学問。
さらに修行していこうと誓った。
11月。合同稽古終了後わずか一月。
「こうなってしまうんだ。」
半身が完全にできると、相手が勝手に倒れる。
真理というのは、言葉にはしづらい。息をするを説明すると同じく、当たり前すぎる現象のため、表現が難しい。それほど技の根幹に進んでいる。
技の進化。
これは破壊的だ。
求道者にとって、一番に心を砕かれる言葉だ。
だが、もう予算はない。3月の卒業旅行に力を注がなくてはならない。
困る。
そこに、足りないところに、自然に水が流れていくように、内田さんが手を差し伸べてくれた。
12月の内田さん来水が決定した。
一文字腰。これをやりきれば、四方投げはできる。
「相手を倒すのではなくて、相手が倒れるという感覚。」
四方投げは前後斬り。
前後斬りは右半身と左半身の入れ換え。
半身は三角法。一直線のままの残心。
だから、無駄に腰を広げない。回さない。
「マリリンモンローのように腰を振らない。」
組杖でも同じ。
払いは杖を払うだけ。
腰や上体を回して払うのではない。
股関節。
屈曲すれば、腰は落ちる。落ちた分だけ、自然に加速度が増し、ぶれずに扱える。
組杖は攻防。
合わせでも、リズムでやることは厳禁。馴れ合いの稽古は何も生み出さない。
洗練された技と技との攻防が更なる型の発掘に繋がる。
速い、鋭い、強い。
だが、それを越える速さと鋭さ、強さで返す。
さらに、それを超えていく。
難しい。
今まで使わなかった身体の動きを特化させるのだから、意識を繋ぐのでさえ、難しい。
「ぐほっ。」
うめく。
だが、できなくても、やるべき価値は見いだせることができた。
ツキノコシを極めようと誓った。
「技は一生懸命稽古したご褒美。」
齋藤先生は仰った。
「付き合いは一生懸命向き合ったご褒美。」
内田さんは毎年水戸に来ることを宣言された。交流が広がったことが何より嬉しかった。
新年明けて、4日目。
入院した。
病名は、糖尿病。
実は、12月半ばから体調不良だった。
喉が無性に渇く。
たくさん飲む。
1時間ごとに尿意をもよおし、たくさん尿が出る。
痩せた。
手首も痩せた。
腕時計のバンドの目盛りが1日ごとに変わっていった。
合氣道家として、恐怖を感じた。
同時に思い出す。
そういえば、親も糖尿病だった。
正月2日、血糖値を計った。
通常、100mg/dl前後だ。高くても、150mg/dlだ。
はかりは計測可能な600mg/dlを超えていた。
翌日3日も、計測不可能だった。
もう一つ隠していたことがある。
ビールがうまいと感じなくなっていた。
ただただ流し込んで、臓器を冷やす、スポンジに冷水をどんどんかけていくような感覚。染みこませるだけの作業。酔いはなかなか回らなかった。
病院で、血糖値測定して490mg/dlだった。
「重症。緊急、強制入院になります。」
主治医から反論など一切させない強い口調で言い切られた。
混乱した状態で、内田さんに電話。
内田さんは自分の災難、困難を受け止めてくれ、言った。
「頼むぜ。しっかり治せよ。」
内田さんの心の叫びを聞いた。
鳴らない鐘は響かない。
ずっと、前から内田さんから聞いていた言葉だ。
本音を聴いたからこそ、本音で応えて、本当の音、本音を出す。
やる気になった。
入院中にも一度抜け出して稽古した。病室で、門下生や学生などの応援でさらに稽古に実が入った。少ない場所での素振り、型。大先生の本の読み返し。崩拳の達人になった気分で取り組んだ。看護婦や主治医が突っ込んでも、「合氣道です」と自信たっぷりに返した。
糖毒性は残念ながら、入院中には収まらず、インシュリンを打つことを条件にした退院だったが、改善の傾向は見えた。
3月。
学生としての合氣道卒業旅行。
それ以上に、目的が有った。
絶品ラーメン。
「醤油ラーメンが完成した」と、坂尾から画像付きメールがあった。
画像からでも、旨さが迫力を持って伝わる。
そそる。
これを食べるために岡山に行く。
2月末の定期治療で懇願し、インシュリンを止めてもらった。
遮るものはない。
勿論、絶品の技も食らう。
学生以上にときめいて、岡山へと向かった。
「股関節の次は肩甲骨。」
旬のテーマは肩甲骨に進んでいた。
剣術も、体術も、杖術も、全ての技が股関節、肩甲骨で説明できる。合氣道はとことん身体を使った実現可能な人間向上学問。学べば学ぶほど、先に進める。真理に近づく。
「合氣道は開祖植芝盛平大先生によって完成している。」
「大先生を超えた者は未だにいない。」
齋藤先生の言葉だ。
大先生は何もかも、飛び切りに違う。
動作全てが自然、合氣道、和の姿、我即宇宙、神となる。
船漕ぎ運動も違う。ただ動かし、回すだけでない。
肩甲骨の運動の拡大。
言霊も発生、活用し、全身に氣力を漲らせる。
全身を脱力しつつ、全方向以上に力を迸らせる。
呼吸法の錬成。
呼吸力は霊力。
体現、体得でき、さらに進める実践の武道。
言葉に尽くしがたい動きに成り、それを現す。
ハイハイも、杖を両手に持っての歩みも自然にできるが、規律良くできているのではない。
身体の欲するところによって、足や手が伸び進み、身体の欲するところによって、足や手が無拍子で付いていく。身体がより可動域を増し、身体が動きがより滑らかになる。
だから、最近の3ヶ月前より速い。
見えない。
「鋭い」という、見える段階を超えて、見えなくなる。
だから正しく当たる、絶対的な強さが生まれる。
当て身の結晶。
しかも、それは確実に伝播する。
朝稽古で鍛え上げられている、あすかの動きが違う。
内田さんと同じ動き。
内田さんとの組太刀、組杖を見せてもらうが、同じ速さで、正確に斬り、打ち、突き、受け、払う。
きれい、美しいと心が自然に惹かれた。
その後、あすかに突かれ、斬られ、さらに速く内田さんに厳しく突かれ、斬られた。
ぐうの音も出ない。
しかし、技は食らうのが一番。
ひとしきり食らった後、速さを教えてもらった。
「体つき、筋肉の大きさは人によって違う。股関節や肩甲骨が動くというのは、関節自体が動くのと、身体が動くことによってしかない。その両方を動かすことが一番速い、それ以上無い機能的な速さ。それ以上はできない。だから、骨を意識する。骨格は誰も同じ。骨がどう動くか、どう動かせるかを意識する。そして、技と成った型は絶対的に難しくなくてはならない。」
次に繋がる足がかり。良い勉強になった。
さて、ラーメンである。
水炊きを食った後の醤油ラーメン。
絶品。
「旨い」という、言葉も忘れた。
我を忘れて、食する。
すする、すする、すする。
すすすすすすすすと、麺もスープも入っていく。
ごちそうさまでした。
翌朝の血糖値は正常値。健康にも良い岡山ラーメンでした。
さらに新たな効能。
このラーメンのおかげで、他のラーメン、以前からの好物を食べる気が起きなくなった。ラーメンブームと言われて各所にラーメン屋が建ち、ラーメン雑誌が跳梁跋扈と次々に出版され、喧伝されても、全く響かなくなった。最後の晩餐の一つとして挙げていたケンタチキンも、食指が動かなくなった。
食の健康が体重の抑制に繋がり、インシュリンを良好に出させてより健康になった。12月より14キロ減って、スリムになった。ちょっとした、ガンダムナドレの気分である。
「ナドレをついに晒したか…。」
これでトランザムを発動すれば、完璧である。
年も明け、ゴールデンウィークが始まった。
ツキノコシから1年。
「突きの腰」だと、分かってきた。
ようやく股関節に乗ることが効用も含め、実感となってきた。続けてきたことへのご褒美。より合氣道が分かってきて嬉しくなった。
しかし、
「剣が消えるんだ。」
との回答。
突きの腰は進化していて、最近は素振りの稽古を重視していると言う。
道に果てはない。ただ、道から外れない。進むだけ。
岡山に行く楽しみがさらに凝縮し、意気込みが増した。
一つだけ困ったことがある。
左だけ二教を掛けられ、抑えられた。
抑えられつつ、よく肩甲骨周りをマッサージしてくれた。痛みはない。何の変化も感じられなかった。
「やってみろ。」
立ち上がり、拳を腰に当て、肘だけを前に進めていく。
何と、左肘が前へ、前へ!、前へ!!と伸びていく。
まるでトニオさんの料理を食べた後の虹村億泰のようだ。
しかし、右の肘は以前ウルトラマンのポーズのままだった。
お願いです。次回は、右腕も施術してください。
2012年度 岡山満喫編 了
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