岡山あけぼの編

 私事だが、娘が茨城大学の工学部に入った。同時に、合氣道部にも入部した。
 素直に、嬉しい。
 10年前に、子供3人に合氣道を教えたことがある。
 だが、半年で終わった。
 いろいろ事情はあったと思うが、子供に教えていて、うまく伝わらない歯がゆさがあったと思う。
 娘は私に似て、運動音痴だ。そして、天然だ。それ故に、人に対して臆することもないし、部内でも楽しく話し合ったり、1年生の家にみんなで泊まったりして、親交を深めている。合氣道部に入って、良かったと思っている。
 一方、
 私の悪い癖がよみがえってきた。
 稽古中、伝わらない苛立ちが顔に出て、声に出て、態度に出る。
 「見れば分かるだろ」
 横柄、そのままが出てしまっていた。
 1年生や新しく門下生も入ったというのに、治められなかった。稽古中、雰囲気が悪くなる。
 それは容易に伝わり、広がる。
 先輩にも、OBにも。
 そして、内田先生にも。
 「仕方ねえ」
 と、OBを通して、学生に諭してもらった。
 そして、直に教えてもらった。
 「朱理は素直だ。朱理なりにやっているじゃねえか、親子だからとあるが、認めてやるんだ」
 親が子のよいところを認めてやらないと、子はのびのび育たない。成長しない。
 家庭や日々の焦りや苛立ちを合氣道になすりつけるような行為は、合氣道自体をないがしろにしてしまう。
 「稽古は愉快に」
 大先生の言葉だ。大先生の合氣道を、岩間を通じて、学んできた。お言葉を自身に取り込んで、実践していかないと技はできない。
 心を平らかにする、難しいお題をいただく良縁を得たと思う。
 そう、わが子たちは私に似て、素直だ。

 内田先生の技は進んでいる。
 会う度に深まっている。
 11月の講習会で、31の組杖。何度も突かれ、打たれた。やられっぱなし感覚が今も残っている。体術もとらえどころを探すのが難しかった。
 「正中線をとらえているんだ」
 ただただ、合氣道の技でやられてゆく。知っている技なのに、とらえよう、防ぎようがない。対峙して、即座にとらわれてしまう。
 速さも遅さもない。技が決まってゆく。
 口伝は変えない。型も変えない。制約の中で、技を突き詰めていく。
 完成はしない。
 「今が最高に強い」
 強い今を積み重ねているから、
 「わしは死ぬ前が一番強い」
 という、大先生のお言葉が出る。
 「大先生を研究し続けること」
 齋藤先生の態度、お言葉がある。
 できないから、できるように技を変えていってしまっては、亜流を産み出す。
 本道、王道ではない。
 少しずつでも研鑽し、進んでいかないといけない。自ら手を離してはならない。
 おもしろすぎるから。
 進む道があることは、すばらしく、おもしろいことだから。
 無足。
 内田先生が3ヶ月かかったことが、3年でようやくそれっぽくなった。
 掴まれてのお辞儀も最近、それらしくなった。
 「全部、同時に動かすのが大事」
 そして、怒らない。
 穏やかだったからこそ、スーパーサイヤ人は発動した。
 怒っていれば、血糖値が上がる。糖尿病になってしまう。身体に悪い。周りにも悪い。
 穏やかだからこそ、平穏に物事を執り行うことができる。
 合同稽古の当日の朝、内田先生は自らの右足に買ったばかりの製麺機落とした。
 すごい音がした。
 「大丈夫ですか」の声にも、平然と「大丈夫」と返していた。
 午後、合同稽古本番。
 呼吸投げ各種を行った。
 たくさんの者が飛ばされ、合氣道の神髄を垣間見た。
 二次会では製麺機で打ったラーメンがたまらなく美味しかった。幸せな一日であった。
 その翌朝、内田先生の足は変色し、膨らんでいた。
 それでも「大丈夫」と答え、焼肉を振る舞ったり、技を教えてくれた。
 コツコツ、淡々と積み重ねていく力。
 それを示してくれた。
 すぐには変わらない。だから、焦らずに、穏やかに、外れることなく進んでいこう。
 暗黒から黎明となった。
 これから陽は昇っていくのだから。
 陽に向かって、礼賛。日本人は祈りの民族。日本は言葉が凝縮した、祈りが結集する国。
 祈りは成功のきざはし。穏やかでないと祈れない。これからも手を合わせ、祈っていこう。

       岡山あけぼの編 了

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