岩間道場、思い出記

 茨城県岩間。
 世界唯一の合氣道の神社がある、 合氣道開祖、植芝盛平大先生ゆかりの場所だ。
 大先生は戦後、農作業をしながら、岩間で合氣道を見つめ直し、研鑽し、練り上げた。
 大先生の弟子たちは生活の苦しさからか、諸処の事情で岩間を後にした。
 残った弟子はただ一人。
 23年という、格段に、一番長く大先生に仕えた直弟子。
 齋藤守弘先生ただ一人であった。
 齋藤先生が大先生にお仕えしていて、直に学んでいたからこそ、岩間に大先生の技が残った。
 岩間は、合氣の奥の院とも呼ばれている。
 大先生は、「わしが死んだら、岩間に行け」と、仰っていた。
 齋藤先生はひたすら忠実に、形も順序も名も武器技も本質も変えることなく、口伝を守り大切に、大先生の合氣道を教えてきた。
 オリジナルは、オリジナルであればあるほど、強い。
 強い光を放つ。
 だから、地元を除き、国内は事情があるため少数だが、海を越えて、多くの者がやってくる。
 本物を学びに。
 真剣に。
 いろいろな弟子がいるが、弟子の中でも、住み込みで、岩間外に出ることなく、始終24時間神経をとがらせて、師に学ぼうとする者、内弟子が一番、学ぶ、習う純度が高い。
 だから、内弟子経験者はその後、指導者になり、教えを守り、伝える人が多い。
 中でも、岡山の内田進先生。
 平成4年7月から平成6年5月まで、内弟子であった。
 数ある合氣道の内、岩間が本物の武道であると受け入れに来て、武道家として学んだ人。
 その姿勢が、他の内弟子(殆ど外国人)に伝わる。
 門下生に伝わる。
 岩間の夜稽古(一般稽古)は7時からだ。
 内弟子は5時過ぎ頃から道場の掃除を始め、6時前に掃除を終え、着替え、先生がいらっしゃるのを黙して、待つ。
 外弟子は稽古開始時間に間に合うよう、また少し遅れても稽古に行くよう、自分の事情でやってくる。
 バラバラだ。
 そこに、心の隙がある。
 稽古開始前まで自由だと、自由の範囲をそれぞれに広げる。
 己が決めた本来の目的を見失うように、武道を忘れた行為が起こることもある。
 しかし、弟子が弟子としてのあるべき姿を見せ、広がっていくことで、道場全体が本当の武道場になってゆく。
 外弟子がそれぞれ挨拶をして、道場に入ってきて、決まっているところに座る。
 黙して、待つ。
 これから己が決めた本当に習いたい合氣道を習うため、学ぶため、心して待つ。
 だから、先生が来られて、稽古開始の二礼二拍一礼で、より心のスイッチが入る。
 すがすがしく、気持ちよく稽古にいける。
 だが、岩間の稽古は厳しい。
 動けない。
 痛い。
 きつい。
 先輩が型として受けてもらってくれているが、何もできないことも多々ある。
 それでもそれぞれが一生懸命、修行する。
 岩間が大先生の道場と先生以下全員が理解しているからだ。
 技は未熟でも、たるんだ、心の隙は要らない。
 道場は夏でも真冬でも、窓、戸は開けっ放しだ。
 気温は10度に到底行かないときでも、懸命に稽古する。
 結果、全員が汗かき、頭から肩から湯気をもうもうと出す。
 稽古終了の二礼二拍一礼時の整列で、道場が湯気の白に覆われて、本当に一つ前が見えないこともあった。
 夏の日も同じ光景。
 これが岩間の道場。
 これが内田先生がいらした時の武道場。
 内田先生は本来の学ぶの姿勢を見せるだけで、「やれ」とは言わなかった。
 あるべき姿を見せて、気づかせてくれた。
 良い、そしてとどめておきたい思い出である。

 岩間道場、思い出記 了

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