平成30年12月水戸講習会(秘伝レポート)

 

岡山合氣修練道場長、内田進先生の水戸講習会が12月8、9日に行われた。
 年2回ずつ、もう7年にもなる。
 全国各地から多くの合氣道探究者が集い、先生の技を堪能した。
 先生の指導はとても細かく、丁寧だ。
 「隠すことなく、すべてを教えている。」
 と、断言している。
 文字通り一人一人、手を取り、注意点を述べ、技をかけていく。参加者は技を学ぼうと動きを止め、見つめる。
 いつしか先生だけが動いて、先生が一番稽古していることになる。
 講習会のいつもの光景である。
 内田先生の技は、深い。
 うまい、すごいなどのいろいろな表現があるが、深いが一番しっくりする。
 それは、先生が一番の探究者だからであろう。
 「合気道をすることは、植芝盛平を研究すること。」
 と言う、師の教えを忠実に守っている。
 内田先生の技は岩間スタイル。師の名は、当然、齋藤守弘先生。
 齋藤先生は合氣道開祖、植芝盛平大先生から「守弘」の名を戴いたほどの直弟子。大先生入神後、茨城道場長を引き継いだ。
 「わしが死んだら、岩間へ行け。岩間には全てがある。」
 大先生は言い残した茨城県岩間(現笠間市)は、合氣道の奥の院と呼ばれている。内田先生は平成47月から平成63月まで、齋藤先生の元、茨城道場で内弟子を勤め上げた。
 その頃の齋藤先生は60代前半。海外指導のほかは、自身が指導に当たっていて、まだまだ現役バリバリにやっていた頃だ。内田先生は入門して1か月でたった一人の内弟子となり、多くの外国人内弟子たちに道場の仕事を教え、稽古がない時間は、齋藤先生から武道を含むいろいろな話をマンツーマンで聴いた。
 茨城道場の稽古は2回。内弟子のみの朝稽古と外弟子を含めての夜稽古。
 岩間スタイルの稽古は、「固い稽古」と言われる。そして、剣と状と体術の理合(りあい)の一致を掲げる。
 だから、まずしっかり握ってもらう。強く握られて、制せられた状態からの脱出を図る。
 だから、武器技をしっかり行う。開祖口伝の、「合気道は剣(術)から始まっている」ことを学ぶ。
 齋藤守弘先生は、開祖に二十三年の長い間を仕え、唯一本部道場での武器技指導の許可を得た人物で、開祖の技(=岩間スタイル)を厳しく教えていた。
 そう、厳格に。
 「一分一厘狂っては、技にはならない。」という開祖口伝を実践し、道場では門人に「ダメ。」を連発して、技のポイントをしっかりできるようになるまで声をかけ、手ほどきした。
 それがそのまま、内田先生の指導法になる。
 一人一人に腕を握らせ、技をかける。
 甘い技は合わせが不十分。
 考えて、より深く合わせていくことを意識する。
 単に小さな力で大きな物を動かせるのであれば、大きな力の方がいい。同じ力というカテゴリに入っている限りは、小さな力は大きな力には絶対に勝らない。表層の筋肉量の差が及ばない、深い力を使う必要がある。
 だから、合わせという別の力が必要になる。
 ぶつからない。すなわち合わせを追求するからこそ、技の原動力、技の現象、結果となる呼吸力が発揮される。
 呼吸力というのは、単に手を返し、出し、こねくりまわすのはない。ぶつからないことを徹底的に研究したことによる、計算された修行の成果だ。
 だから、稽古の深度の差が出て、同じ順序、形なのに、違う。
 深い合わせ故に、仕手の動きを受けが把握できず、抵抗できずに、技がかかってしまう。
 講習会は1日目が杖投げ、2日目が気の流れ諸手取り各種を行った。
 ここにも計算された、剣理に基づく技がある。
 杖投げの四方投げは、体術の四方投げと同じ。
 四方投げの口伝は、「剣の前後斬りと同じ。」。
 だから、完全に後ろを斬らないといけない。
 半身のままで。
 足の転換に腰が付いてしまうような、上半身と下半身が癒着してしまっていると腰が舞わる。身体も一体で回る。
 後方の敵に対して、薄い、文字通り半身ではなくなり、さらに回りすぎで、きちんと後方を斬る形にならない。
 「半身にこだわれ。」
 齋藤先生は、こう言い続けた。
 だから、誰が見ても、間違いない前後斬りを行うことで、四方投げを完遂する。
 「杖を下げすぎないように。受け身が取れなくて、鎖骨を折るおそれがある。」
 齋藤先生譲りの、楽しく稽古を納める方法を伝える。
 また、諸手取り下から上に流す形は剣の振りかぶり。
 諸手取りで流した腕は背中側の筋肉を意識して、剣を振りかぶるようにするとあがっていく。
 「見える動きは止められてしまう。」
 そして、
 「剣は見切られたら、終わり。」
 上げた剣は振り下ろす。
 斬るということに、止められるということはない。
 振り下ろす剣の形そのままが、一教裏の形になり、相手は抵抗なく、崩れる。
 肩を回すことは、身体の一部。肩の動きを止めれば、抵抗できる。止められたから、力を使って、抵抗を排除することは、斬るという剣の理合ではない。
 開祖が残した著書、『武道』にある、稽古の初めに行う技、体の変更からそうだ。
 手首から動かせば、中心から最も離れた末端の力しか使わない。
 動きを止めやすく、制しやすい。
 「腕を動かさずに、腕を動かす。」
 手首も、肘も、肩も、脇も、胸も、背中も、股関節も別々に、同時に動かすから、全部一緒となって、深い合わせである呼吸力が発動する。
 技の終わりも一緒。
 足が先に終われば、手の終わりを足が待っていなければならず、手が先に終われば、足の終わりを手が待たないといけない。
 全部一緒は、別々に動いて、完全に全部一緒。
 「皆、一緒や。」
 開祖の言葉通りになる。
 内田先生は、師の齋藤先生に3つ使命を与えられた。
 「合気道を行うことは、植芝盛平先生を研究すること。」
 「一生、合気道をすること。」
 そして、もう一つ。
 「俺の意思を継ぐこと。」
 内田先生は、齋藤先生をこう評価している。
 「完全無欠の師匠。」
 師の言葉を承り、今日も合気道を深めていく。



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