岡山目覚め編
29年度ももうすぐ終わる。
5月の水戸講習会、返し技から始まった、内田先生からの技の導きは日々、出会う度に深まっている。
全く、ぶつからない。
全部、相手に技が入っていく。
その力は、より深いところから出され、よりシンプルな動きとなってゆく。
師匠、齋藤守弘先生からいただいた型、口伝を100%変えずに、常に深めてゆく武道家の技は、「大先生を研究すること」という師匠の教えを一途に守ってきた賜物だ。
ぶれが、一貫して、ない。
精神も、徳も高まってゆく。
だから、参加者全員、稽古を愉快に行える。
対して、私は、ぶれた。
私は、一時の幸せのために、悪魔の実を食べた。
10月合同稽古。
本番の日曜日の前の前の前、木曜日から岡山に来て、技を、話を、食事を、酒をごちそうになった。
日を改めるごとに、楽しさが高まっていった。
金曜日に遠方の道友、門下生が、土曜日には学生などが集い、人が増え、笑いも増えた。
そして、合同稽古。
連続20年、20回を迎えた記念の大稽古会。
80名を超えた。
稽古の前の、恒例の諸手祭り。
そこには、何の挨拶もいらない。
ただ、諸手取り呼吸法をやり合う、突き出す手と握る両手、氣合いがあればよい。
1時間のウォーミングアップ。
本番の稽古は、二人取り。
受けはずっと私と武玄さん。
「坂谷と武玄を投げていれば、誰からも文句は来ねえ」
その理由で、握らせてもらった。
諸手祭りからの、内田先生を握り続ける二人取りの諸手。
氣合いが迸らないはずはない。
たけらないはずはない。
全員が大声を出し、気合いを入れ、二人から握られ、制せられた状態からの脱出に挑んでいく。
その中、我が娘の声がよく聞こえた。
…スイッチが入った。
ますらおが
集いおたけぶ
諸手取り
吾子の産声
再び聞けん
…ああ、もう叫ぼう。
… 歓喜に身を、全て投げ出そう。
そう、諸手のためなら、鬼になる。
アマゾンライダーの歌がになぞらえて、本能にしたがい、狂える悪鬼となり、組んだ相手を氣合いと共に投げちぎった。
私は、悪魔の実を食べてしまった。
稽古は考えるものなのに。
深めてゆくものなのに。
懇親会の移動中は、泥のように眠った。身体は悲鳴をあげていたのだろう。しかし、奮える喜びの余韻のせいか、気づかなかった。
その日の夜も、深更まで飲んでしまった。もうこの一本で終わりと言いながら、開け続ける下廣に付き合って。
布団に入ってから、すぐに急激な変調。朝3時過ぎから、吐きまくった。何もなくなって、胃に何もないのに、はき続ける。苦しみ続ける。
朝、昼過ぎまで続いた。
何も要らない。身体全体からの拒絶反応。
内田先生がくれた昆布茶も、胃薬も喉を通した直後にはき出す。
苦しい。
辛い。
身もだえる。
悪魔の実の代償を受けた。
そう、稽古会のフィナーレ、焼肉を食べられずに。
帰りの新幹線で、ようやく内田先生特性の醤油飯おにぎりにありつけられた。うまかった。
しかし、内田先生は私の嘔吐で起こされて、眠れなかった。ご迷惑をおかけしました。騒ぎ散らかしすぎました。反省します。
そして、3月。
学生の卒業旅行。
味噌バターラーメン、宿願の焼肉を食べました!
身体が、心が目覚めました。
これからは、正しく修めていきます。
一の組杖から受けの大切さを習い、一教の面白さを知り、体の変更の難しさをさらに痛感し、修行者として常に技を見返してゆき、高めていくことだけを考えていきます。
齋藤守弘先生は内弟子中の内田先生に、「俺の意思を継げ」と仰られた。
「お前も継げ」と、内田先生に言われた。
師の厳命は絶対。
もう、悪魔の実の誘惑に負けません。
岡山目覚め編 了