気流 2014年度
 剣は合気道に含まれる
 徳島大学合気道部師範 内 田  進
  武道必修化後、しばらくして借りている中学校の格技場のホワイトボードに 真剣 → 木刀 → 竹刀 丸で囲って平和と書いてあった。
 「本来人殺しの道具である刀は戦国時代を過ぎると危険すぎる真剣は木刀へかわり、平和な時 代が来るとより安全な竹刀へと剣道は進化した」と言ったところか?先生の弁が聞こえてくる ようである。 袋竹刀は、上泉伊勢守が戦国時代に発明し、真剣に対し袋竹刀で相手をしながら諸国を廻り、 負けなしというのだから、時代に沿って稽古道具が変化したのではないし、平和な時代だから 竹刀で良いということにはならないと思う。子供にウソを教えてはいけない。
 ここで、かなり前の合気ニュースの記事を思い出した。組織から離れて月日が経ち、最近、 学生には以下の話を全くしなくなったので、長いが引用する。
 当時、合気会八段の師範がヨーロッパの講習会において「なぜ合気道で武器技を教えないので すか?」との問いに対しての答えである。 「それにはまず、歴史面からみなくてはなりません。侍の時代、武道とは古武道であり、刀は 侍の武器でした。剣術から発達したものに“柔術”があり、なかでも有名な流派が大東流です。 最近になってもっと“柔らかな”武道・柔道が現れました。柔道は相手を殺すことを超えた、 より高尚な武道を模索していた加納治五郎によって考え出されました。加納師範は柔道創始者 としての立場上、他流道場へ通うことははばかれたので、かわりに弟子たちを送り込みました。 そして、望月稔先生が植芝盛平翁のもとを訪れることになったのです。のちに先生が加納師範 に盛平翁の教えを報告したところ、加納師範は、『植芝先生の技こそ本物の柔道だ』と言った そうです。こうして合気道は武道の歩みのなかで、殺人を目的としない、剣術の次の段階のも のとみなされるようになりました。その意味で、武器技は武道の発展過程で過去のものと言え ます。ですから武器技を学ぶことは過去に執着することであり、合気道を学ぶことは最新のも のを習うことなのです。―中略― 斉藤守弘師範は著書の中で、合気道と武器技の一体化をは かるというより、武器技そのものを残そうとされていますが、これはおおいに“混乱”を引き 起こすものです」
  このあまりにもツッコミどころ満載のお粗末な会見をプラニンさんが要約してくれているので 以下に。
  「侍の武器であった剣は、封建時代の日本において殺人の道具であった。柔術 ―たとえば大東 流などの“柔らかい”武道― は剣術から発達したものだが、もはや殺人を目的とせず、道義的 意味で剣術を凌いでいる。近年における“柔らかい武道”の一例が柔道である。創始者・加納 治五郎は盛平の技に感銘を受けたと言われており、その意味からも、合気道は武道の発展過程 における“次世代の武道”を代表し、殺人を目的とした剣術よりも優れたものである。剣を学 ぶことは、武道の後退を意味し、それゆえ剣は合気道に含まれない」 歴史観も武道観も同意できない。一つひとつに反証はしないが、今に残る多くの映像の中で、 開祖が剣を振っている姿を見て、合気道に剣がないという方が、混乱を招くのではないだろう か。
 ある魚が、洞窟など真っ暗な環境に閉じ込められて数世代過ぎると、光を必要としなくなるの で、やがて眼は無くなっていく。あらかじめ持っているものを失うこと。それは退化というの であって進化とは言わない。一度退化したものを光のある環境に戻しても眼が復活することは 難しいように思う。 剣を昔のものとして、捨ててしまうのは合気道にとって退化以外なにものでもない。そもそも 剣を殺戮の道具としてのみ定義していいのだろうか?それではあまりにも先人を愚弄していな いか。
 確かに開祖は「剣の理合いを体術にうつした」と言われた。それは剣の理合いを体術に移行し、 剣を捨てたという“移す”ではなく、剣の理合いを体術に反映させた“映す”であると考える。 実態としての剣の稽古がなければ、対象である体術には何も映らない。
 「神剣発動。罪穢れの雑草を払い、万有万真を明らかにし、処理してゆくこと」剣を修練せず して、この開祖の教えを実践することができるのだろうか。五百年前、すでに“活人剣”は唱 えられており、その後の日本の武道に多大な影響を及ぼしていることは間違いなく、合気道も そうだろう。原初が理想に一番近い。我々にとっては、開祖であり、その教えを忠実に貫いた 斉藤守弘先生である。 そして斉藤先生に「剣が基本である」と教えられた。殺人剣から活人剣に至った原初に(ダイナ ミックに)還り、剣の身体的操作とともに、その理念を今に活かすことこそが稽古であると思う。
 道のためまがれる敵をよびさまし言むけすすめ愛の剣に

気流 2013年度
 神速
 徳島大学合気道部師範 内 田  進
 昨年から黒田鉄山氏の影響を受けかなり稽古が変わってきた。影響と言っても映像を見て、 本を読んだだけであるが。
  流儀は違っても、半身、一重身を基本とするので、一文字腰の稽古方法は、私にとって大き な収穫となった。合気道を教えながら他流の話をするのもなんだが、いままでも直心影流や 中国拳法なども参考に稽古してきたわけだから、良いと思ったことは素直に認め、後は大先 生の言うとおり、合気道に直していけば良いのである。口伝だけは絶対に変えないと肝に命 じておけば。
 取り敢えず、今は速い動きを目指している。合気道にも勝速日の概念もあるし、『武道』に は、「古ヨリ技ハ電飛ノ如ク入身転化シ打ツ事雷撃ト云フモ是レ皆人ノ目ニウツルモノニシ テ能ク鍛錬ノ結果達成シ得ルモノナリ宇宙水火ノ働キノ如ク目ニ見ヘザル迄ニ神進ミ修スベ シ」ともある。雷撃よりも速く目に見えないまで鍛錬しろというのである。迅(神)速を目指 すは合気道家の使命ともいえる。
 合わせるから合気道と教えられた。相手の力に、動きに、気起こりに合わせろと。もし相手 が己より速く動ける場合、単純に合わせられない。絶対的な武術的速さを身に着けなければ、 言葉のとおり後れを取るのである。しかし、ここで言う速さは、100mを10秒を切って 走るというような能力ではなく、いかに上手に身体を機能させるかである。機能とは、ある 物が本来備えている働きであり、能力とは違う。武術的に本来身体が備えている機能を目覚 めさせてくれるのが、技であると現段階では思っている。
 今までは、ゆっくり形を作って、速く仕上げると思っていたが、これは間違いであると気づ いた。速く動くという事に拘ると誤魔化しがきかないのである。ゆっくりやることを是として 稽古していると、無駄な動作をしてしまい所謂クセがついてしまう。技の順番を覚えるときに は、便宜上ゆっくり確認するのであって、技はそもそも迅速を基本とするということを常に念 頭に置いておかなくてはならない。そこから一切の無駄を削いだ宝石のような合気道技が見え てくると確信している。
 迅速を基本としなければ、ゆっくり丁寧な稽古もいつのまにかのんびりした技になってしまう。 敵にのんびり対応したのでは殺されてしまう。 神進みに修練し、技を見えざるまで仕上げてしまえば、ゆっくり動いているようでも迅速であ るという妙味にまで達することを夢見て稽古することをこれからの方針としたい。

気流 2012年度
“拘る”ということ
  徳島大学合気道部師範 内 田  進
 『奇跡の教室〜エチ先生と『銀の匙』の子供たち〜』という本を読んでの感想です。 灘校の国語教師、橋本武先生の授業とその教え子たちが成長して、そのころを振り返るといった内容です。 この先生は、中学1年から3年までの3年間、教科書を一切使わず、『銀の匙』という、たった一冊の 文庫本で国語の授業をやっちゃいます。 「結果がでなければ、責任を取ります」と学校側に掛け合い、3年かけて じっくり『銀の匙』という物語を読み込んでいきます。 物語に駄菓子が出てくれば、子供たちに駄菓子を配り、それを食べさせながら読み、凧揚げが 出てくれば、凧を作って揚げさせ、物語の主人公と同じことを追体験させていきます。 『丑紅』という言葉が出てくれば、その意味とともに、十二支の丑から、二十四節気の話まで繋げていきます。 1ページ進むのに2週間かかるのはざらだそうで、速読ではなくて遅読。言ってしまえば、横道に それつづけ、脱線していくということです。 しかし、もともとの『銀の匙』から離れていくということではなくて、物語に 出てくる、一つひとつの事柄を疎かにせず、とことん拘っていくという姿勢が貫かれています。 「半身にこだわらなきゃ、合気道はできないよ」 岩間での修行中、師匠にそう言われました。 道場の駐車場に長い線を引き、兄弟弟子と五の合わせを「半身、半身」と言いながら、延々と稽古しました。 岩間に来る外国人たちに「内田は半身にうるさい」と嫌がられるほどに。 「パッと手を開く」とは、どう開くのか。「つま先とつま先を合わせる」とはどう合わせるのか。 合気道開創に至る歴史的・精神的背景までに及ぶと、想像を絶する広がりを みせますが(それも魅力的ですが)、まずは、一合気道修行者として、技への拘りは持ち続けて欲しいと思います。 ただ見ただけの聞いただけの情報を知識と勘違いせず、実践し、考え抜いたものだけが、今の自分を 立体化し立脚しうるただひとつの礎となると思えるのです。 『銀の匙』の子供たちは、それぞれ自分の拘りを見つけ、社会で活躍しています。 『合気道』が部員たちの『銀の匙』であったらと思います。 申し訳ありませんが、橋本先生のような授業はできませんので、自分でなんとかしてください。 最後に、拘ることと、囚われることは違いますので、ご用心ください。

気流 2011年度
鍛練の目的を達成するために ― 死ぬな、殺すな ―
   徳島大学合気道部師範 内 田  進
 
 学校での柔道死亡事故が27年間で108人。その話を聞いたとき、その数の多さに驚いた。年間4人ずつ学校の生徒が柔道の練習で命を落としている。調べてみると『全国柔道事故被害者の会』という組織まであった。死亡に至らないまでも、重篤な障害を負った生徒も相当数いるようである。
 合気道部の新入部員で柔道・剣道経験者のほとんどが身体に何らかの故障を持っていることから「18歳で腰を痛めているなどということは、異常なことで、指導者やまわりの仲間も同じように故障を抱えていることから“武道をやっていたら、このくらいは当り前”といったような風潮が何十年も改革されないまま放置されている」と言ってきた。
 手にした資料にも『「柔道はもともと危険なスポーツだから、事故が起きても仕方がない」とか「柔道の危険性については、承知した上で練習をしていたのだろうから…」等といった考え方をする事自体が、間違いだと思っています。』と執筆者もその思いを伝えている。
 私自身、高校時代にやっていた少林寺拳法の練習で膝を痛め、未だに誤魔化しながら合気道を続けている。少林寺の仲間も、腰を痛め、腕を痛めていたが、皆一様に「仕方がない」と諦めていた。
 合気道だから良いなどと言っている訳ではない。私のホームページに掲載しているように、大学合気道部における死亡事故が、法律の専門家用の判例集に3件も載っているくらいである。表に出ない物の数は想像するのも躊躇われる。
 我々もこの事を、対岸の火事とすることはできない。
本来、武道の修行は、(色んな意味で)生き残る可能性を広げるために取り組むものであって、合気道の目的は、鍛練である。そこで、死んでしまったのでは、武道の存在そのものが無意味になってしまう。
 また、死亡事故の6割が初心者だそうである。これから同じ道を求めて入門してくる後輩達を気遣い“合気道部に入部したばっかりに…”などと言う事がないようにお願いしたい。共に合気道により己の鍛練を達成し続けて欲しい。
 以前、中学校における武道必修化を批判したが、柔道死亡事故を調べているとこんな記事があった。それは、柔道を指導する教員が全く足りないため、体育教員を数回の講習会に参加させて黒帯を与えてしまうというものだ。その教員たちも「受身もろくに出来ないのに、教えていいのか」と不安に思っているという。礼儀礼節を武道を持って教えるのであれば、まず、その指導者の質を整える事が、子供達への礼儀であろう。不幸な事故が起こらないよう、祈るとともに、危ないと思ったら逃げ出せと、子供達には言いたい。

気流 2010年度
 知識を高めて合気道を深める
徳島大学合気道部  師範 内 田 進
 「合気道をするということは、植芝盛平を研究すること」とは、斉藤守弘先生の言である。
 まず自分に問いかけてもらいたい。開祖植芝盛平をどれだけ知っているのかと。
 開祖について書かれた書籍はかなりの数が出版されている。自分自身で取り組んでいる合気道である。合気道と銘打った書物であれば、どんなものでも、一応は目を通してみるくらいの心がけを持ってもいい。
 開祖の生い立ちから、合気道創始に到る経緯について、また、その合気道が現在においてどのような広がりをもっているのか。そういった知識を持っているだけでも、我々が普段稽古している合気道、岩間の合気道の多次元的な理解も深まろうと思う。
 私が知っていることは、出来るだけ伝えようとは思うが、その足らないところは自らの努力によって補っていって欲しい。
 技術的には、斉藤先生の『合気道』全五巻と『武産合気道』全五巻。開祖の『武道』と斉藤先生が解説している『武産合気道・別巻』は、是非、手元において常に紐解いて道の研鑽に役立ててほしい。この春、『武産合気道』は合気ニュースから新装版として安価で販売されるのでまだ持っていない人は、入手するように願いたい。宣伝ではなく、斉藤守弘の系統にある者には、絶対の参考書となるからである。
 そして、開祖の口述本である『武産合氣』と『合氣真髄』に手を出して欲しい。難解ではあるけれども、受身で頭を打ちつつ失われていく最後の知的好奇心を振り絞って読んで欲しい。開祖の思想に触れられる貴重な資料である。
 思考は言語である。物を考えるときは、言葉を使う。語彙を増やせば思考も深まるということである。合気道を語る上でもその背景を多く知れば、合気道の愉しみ方もどんどん変化していく。技も然り。語彙と同じように技数を覚えていけば稽古の質も自然と変わっていく。そういう変化を実感することが、合気道を実践する一番の醍醐味なのである。
 開祖曰く「ありがたいお経のようなものを読んだり聞いたりして、これを武道になおしていく。世界の動きをみてそれから何かを悟り、また書物をみて自分に技として受け入れる。宗教といえどもことごとく自分に受け入れて、武道になおしてゆけばよいのである」
 受け入れる器は、己自身であるので、もう用意できている。安心してどんどん学んだものを注ぎ込んでいってもらいたい。

気流 2009年度
 武道の必修化に反対
徳島大学合気道部  師範 内 田 進
 中学校の授業に武道の必修化が決まった。日本の伝統文化に触れ、礼儀礼節が身につくという。
 ここでいう武道というのは、主に剣道と柔道である。はたして今の剣道・柔道が伝統文化といえるのかどうかは甚だ疑問である。
 戦後GHQに武道を禁止された中で、剣道と柔道は、武道ではなく競技スポーツとして存命してきた。その是非を問うわけではない。
 それで本当に「伝統文化に触れる」ことになるのか?そこに日本古来の精神文化が存在しているのか?という、NHKの受信料や年金問題と同じスッキリ同調できないものを感じるのである。
 ぶっちゃけて言ってしまうと、競技人口低下に歯止めがかからない剣道界、柔道界が教育現場を利用して裾野を広げようとしているのである。国会議員による武道議連も含め、利権の匂いがプンプンである。(でもあまり大きな利権でないのがちょっと悲しい)
合気道ならいいのか? 答えは否である。武道などというものは、やらされるものではないと思っている。
 諸外国から日本の武道愛好家は、潜在兵力としてカウントされている。自ら道を求めず、強制的に他人を投げ、押さえ、打ち据える技術の修得を義務づけられるというのは、軍事教練のようにも受け取れる。
 はたして教育現場にこういった技術を強制的に持ち込んでいいのか?
 技術というのは、本来排他的である。ただ単に技術を修得してしまえば、乱暴者を量産するだけのことにもなりかねない。
精神性を教えるというが、その高い精神性を備え、技を使える指導者がいったい日本に何人いることだろうか。やる気のない中学生をもその気にさせ、日本の伝統文化、精神文化に触れさせられる指導者。もはや達人の域である。
礼儀礼節は、ダイレクトに礼儀礼節を教えればいい。武道を利用するとなれば、それは力ずくで言うことを聞かすということになる。
 武道というのは、やりたい人達だけの宝物でいいと思うのである。

気流 2008年度
 変化論
徳島大学合気道部  師範 内 田 進
  『人間は頭脳が発達するにつれて、一方では肉体的な面では退化が伴うのが常である。大脳皮質の作用といわれている理性の発達につれて本能、直感的な機能、更には霊的能力は次第に退化する傾向がある。即ち進歩には退歩がつきものである』(千島喜久男)
 サルが進化したのではなく、変化してヒトとなった。千島博士の言うところはそういうことだろう。時間的経過により単細胞生物から複雑で高等な生物へ進化していったというのは、思い込み、偏見なのかもしれない。
 進化した生物としての人間。いちばん高等な生物であるとの驕りが、やがて精神に反映し、今日の社会や経済に影響を及ぼしていると考えるのも面白い。
 「弱肉強食」このあまりにも単純な思想は、単純なるが故に人間の営みに浸透していると思われる。感染といってもいいかもしれない。
 強いものが弱いものを喰らう。それは一面だけの捉え方だと「食物連鎖」という言葉で私たちは知っている。ライオンも死ねば微生物の餌食となり、その微生物も虫などに捕食され、その虫も…。
 強引ではあるが「全ては“循環”の中にある」というところへ持っていきたい。
 食物連鎖も春夏秋冬も輪廻も循環である。
 そして、技の継承も、また循環である。師から弟子へ、またその弟子へと受け継がれる技は、直線的な時間の経過だけではない。
 師より、体の変更を学び一教、二教…小手返し、四方投げ…と稽古を進めていく。師はその師より同じように学んできた。弟子は、師が学んできたように、それをなぞる。それは循環しながら進んでいく。螺旋を描きながら。
 合気道が植芝盛平大先生により創始され、その弟子たちによって世界中に広がったということは、進歩かもしれない。しかし、広がれば広がるほど一対一の面授面受で指導をうけるよりも稽古は薄まってしまう。それは退歩かもしれない。そこに善悪の判断はない。そうしかならないのだから。我々はそうした環境に対応しつつ変化していく。
合気道を学ぶ上で、合気道そのものの進化を求められるととても辛い。それよりも合気道の稽古を通じて、自分がどう変化しているのかを体感することの方が循環の法に則しているとおもわれる。
 春になればまた新入生が入ってくる。また正面打ち一教表技から始まるのである。新しい循環の始まりである。直線的ではなく、ともに変化しながら螺旋階段を上るような三次元的な結びを体現してもらいたい。

 気流 2007年度
 地デジに思う。
   岡山合氣修練道場 道場長 内 田  進
 私の祖父は新しい物好きで、電話も近所に先駆けて引いたし、新三種の神器といわれたテレビ、冷蔵庫、洗濯機もいち早く買ったそうである。
だから家のテレビはずっと白黒で、カラーテレビになったのは、友達の家よりかなり遅れていたのではなかろうか。私はカラーテレビが我が家に来た日を覚えている。
カラー放送が始まっても、白黒テレビはそのまま映っていた。が、しかしである。地上デジタル放送が始まった。
 2011年までにチューナーかテレビを買い換えなければ、現在使用しているテレビは使い物にならないという。
 なぜ望んでもいないデジタル放送に一方的に変えられ、いままでと同様のサービスが受けられないのか、納得がいかない。
 こういうことが多くないか。
 郵便番号が七桁になって、料金が安くなったり、郵便物の到着が早くなったわけでもない。楽をしたのは、郵便局。得をしたのは、その外郭団体。
 ETCもべつに多くの人が望んでいたわけでもないだろう。今現在でも、高速に乗ってみれば、料金所の半分(それ以上か)がETC専用になっているため、現金支払いの車で渋滞している。渋滞緩和のための処置だったはずなのに、いつの間にか渋滞の原因は、ETCをつけていない車の所為になっている。
 全ての車に搭載されても、渋滞が無くなるわけでもないのに。
 そんなことを思っている間に、今度はホワイトカラー・エグゼンプションである。だいたい国の政策でカタカナのものは、まず疑っていい。
ダイレクトに認識されることを恐れている。残業そのものの給与的価値などは、業種やその会社の事業内容などによって違うと思えるが、それを国の政策として、一律に残業代をカットしようなど、あまりにも乱暴すぎるように思う。
 今までに無い新しい金儲けの方法が確立されつつある。利用者や消費者に対するサービスの提供であったものが、そのサービスが受けたかったら、そのサービスが受けられる利用者、消費者になれと言っている。
 我々、岩間の合気道を稽古するものは、それだけで既に大きな潮流からは外れている。合気道の世界ではアウトサイダーである。
その証拠に鳥大合気道部も文理合気道部も組織からはずされた。しかし、それを理由に我々の合気道に価値が無いとは言わせない。
 合気会以外合気道ではない。合気道と言いたければ合気会に入れ。寄らば大樹の陰、長いものには巻かれろ。そんな価値観に反逆の狼煙を上げたいと思う。

気流 2006年度
 “むすび”
   岡山合氣修練道場 道場長 内 田  進
『古事記』の最初。
“天地(あめつち)の初発(はじめ)のとき、高天原に成りませる神の御名は、天御中主神、次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、次に神産巣日神(かみむすびのかみ)、この三柱の神は、みな独神(ひとりがみ)成りまして隠身なり”
 ここに出てくる神名の“むすび”は、ただの結合や連結を意味するのではなく、陰陽二元の結合によって、新たな生命、力が生まれることをいっている。
 “ムス”という字は、「苔むす」のように、生まれる様をいう。我々の「武産」然りである。
“むすび”は働きである。
 大先生は合わせることを“氣結び”と仰った。
 斉藤先生は「争いじゃないんだ、合わせるんだ。合わせるから合気道なんだ」とよく仰っていた。
 敵であっても、自ら合わせ、結んで、導き、新しいものを生み出せというのが合気道の理念なのだろう。
 言葉を重ねても、限がない。自分の成長に沿って感じ取って欲しい。
 合掌造り屋根の集落で有名な白川郷では、数十年に一度、屋根葺き替えをする。その時、手伝いに来た集落の人たちを“結(ゆい)”と呼びまた、手伝いに来てくれた人の中で屋根の葺き替えをする人がいれば、手伝ってもらった人は必ず手伝いにいかなければならず、それを“結返し”というそうである。
 ヨガも“結ぶ”という意味であるという。

気流 2004年度
 徳島大学合氣道部師範 内田 進

 一般的に広く行われている合気道と岩間の合気道、その違いについて『合気ニュース』の記事に次の六項目が挙げてある。
@ 当身が強調されなくなった、または削除された。
A 技の種類が少なくなった。
B 入り身が強調されなくなり、また取りが技を先行することもなくなった。
C 表と裏の区別があいまいになった。
D 合気剣杖、その他の武器技稽古がほとんど行われなくなった、または消滅してしまった。
E 合気道を武道としてとらえている人もいるが、ソフトで真剣味のない稽古のために、健康法やエクササイズと呼ぶ方がふさわしいものになってしまった。
 補足を加える。
 @について 「当身のない武道は武道ではない」とよく岩間で言われた。岡山の道場にも他道場で稽古した人がやってくるが、ほとんど当身の知識がない。また当身はやってはいけないことと思っているというか思わされている。"出来るが使わない"と"出来ないから使えない"では、武道を志す意味では天地の差がある。当身の研究は不可欠である。
 Aについて 合気ニュースの調べでは、一つの道場で教えている技はせいぜい五十技くらいだそうである。斉藤先生はイタリアで立ち技の基本技をビデオに収録したが、それだけで四百を超える技が収録されている。
 Bについて 斉藤先生は「合気道の極意は?」と聞かれ、即座に「入り身と呼吸」と答えていた。入り身は合気道の極意であるならば、合気道において入り身が強調されないわけがない。入り身に拘らないのであれば合気道ではない。
 合同稽古などで他道場の人と稽古すると「かかって下さいと」お願いされる事が多々あると学生からよく聞く。「かけて下さい」と言えといつも指導している。
 Cについて 気の流れや応用変化技ばかりを稽古していると曖昧になってくるのだろう。固い稽古で表裏の区別をしっかり身につけていれば、気の流れになっても四方八方に切れのいい技が出来るものと考える。
 Dについて 武器技と体術が一つになって合気道である。どちらかが欠けても合気道にならない。「剣の理合を体術に活かした」というのだから、当然、剣が使えなければ体術は理解できない。
 Eについて 大先生が出された技術書は『武道』と『武道練習』。合気道は武道である。岩間での内弟子時代、斉藤先生から「内田は武道としてやっている」と言ってもらったことがある。私は終生その言葉を大事にする。
 以上、少し(半ば強引)ではあるがプラニンさんの記事に注釈を入れた。本質のところは筆舌に尽くし難く、いくら語ったところで空しいだけである。自分の今取り組んでいるものを確認する一助にでもしてもらいたい。

 気流 2003年度
 最近思った事。
   徳島大学合気道部師範 内 田  進
 先日、千葉県で子供二人と一緒に合気道々場に通う母親からメールをもらった。そのやり取りをそのまま載せる。何かしら感じとってもらえればと思う。
最初のメール。
 「母親と息子、娘で合気道を習っているものです。合気会で六年続けていますが、余りの体罰と言う名の暴力を見かねて流派を変えたいと思っています。合気会の中では道場を変えると良くありませんので、知人に岩間流が特によろしいと聞いたので連絡しています。岩間流…千葉県松戸市又はその近辺にありますのでしょうか?お忙しい所すいませんが返信頂ければ幸いです。」
 私の返信。
 「残念ですが千葉県松戸市近辺で岩間の稽古をしている道場は思い当たりません。東京では小平の龍山会、代々木上原の道場、あきる野の道場ぐらいしかありません。関東在住の方々は直接茨城の岩間道場へ通われている人が多いと思います。また、岩間も合気会の道場です。一般的に行なわれている稽古法と多分に異なる事から『岩間スタイル』として区別されていると思ってください。合気会の道場であっても地域の組織とは関係なく活動されている道場も多々ありますのでいろんな道場、指導者を実際に見て判断して、道場を移るということが良法と考えます。教育と言う名を借りてまかり通る体罰という暴力。それを是とする勘違いした指導者も少なくありません。「みだりに師につくな」と言う言葉があります。岩間だから良いという事でもありません。師匠と弟子の相性もあります。お子さん達の為にも良師をまず探される事をお薦めします。お力になれなくて申し訳ございません。」
 『暴力の学校、倒錯の街』という本を読んだ直後で、体罰について色々考えていた時であり、そのタイムリーさに驚いたが、実際、教育・躾といって行なわれる暴力はしっかりと社会に根付いている。
 『暴力の・・・』は、スカートの丈が校則より短いという理由で体罰を受け死亡した学生の事件を取り上げている。
 スカート丈が短いということで殴られ、また殺されるような事は世間一般では考えられない。思い起こせば、私自身、然したる理由もなしに学校の先生に殴られた事がある。街中で無抵抗の人間を殴れば、それは犯罪であるのだが、学校であるとか、教育・躾・修行などの冠がつけば暴力は体罰として容認されてしまう。
 そして、そこが我々武道を志す者の陥りやすい落とし穴でもある。イッキ飲みの強要や、伝統という名のシゴキなどは、教育的体罰(暴力)の延長線上にあると思う。
 「後輩は一発殴れば言う事を聞く」では、普段の稽古はいったい何なのかと思う。
厳しく、いい稽古をして、先輩は自身の稽古に取り組む姿勢で、技による感動で、後輩を導く。そういう徳を磨く事が合気道の修行であると私は思いたい。
 私の返信に対するお礼。
「早速のご返答有難う御座いました。昨日は合気会の別の道場と、心身統一合気道の道場を体験してきました。先生によって基本の動きの教え方も様様なのに戸惑っています。七年近く今までの道場でやっていた息子が他のやり方について行けるのか心配です。あちこち見て体験させて頂いて決めたいと思います。では、取りあえずまで。
 追伸:今までの指導者に辞めることを伝えました所、「筋を通せ」「今まで育ててきた恩」等など言われました。最後にきてがっかりしています。先生を尊敬できなくなったけれど、合気道まで嫌いにならないうちで良かったです。 」
「筋を通せ」とはお金の事か?「今まで育ててきた恩」などと恩着せがましい。
 "合気道を稽古しているから良い人"などという評価はありえない。
要は人の質である。己の質的向上を考え、目を養い、その目で見えないものを見る。そんなことを思いながら合気道に取り組める人たちの集まりであれば、好きな合気道を満喫できるのではなかろうか。

気流 2002年度
 愉快な稽古を実施するために
徳島大学合気道部師範 内田先生
 合気道は、とにかく稽古する事である。理屈は後でいい。先ず動く事、それが一番大切なことである。
 まず理屈を考えてみても、ろくに基本も出来ない自分の考えである。必ず間違っている。イメージが先行すると、動きをそれに合わせようとする。結局無理が生じ、勝手に自分が描いた理想とそうならない現実の間で葛藤する事になる。まったく間抜けな話である。先ずは自分自身をよくよく観察し、今自分が何をすべきかというところだけをおさえておけば、良いのである。
無知とは、学問が無いと言う事ではなく、己を知らない人をいうのであって、合気道は自分を理解する一つの方法であると思う。稽古すればするほど、気配りを考えれば考えるほど、自分の至らなさを気付かせてくれる。武道において失敗は即、死である。今まで私は何度死んだ事か。私の弟子は何度私に殺された事か。『毎日、死ね』とは先人の言葉である。有難く頂戴する。『毎日、生まれ変われ』ということだと思う。
 技が全てを教えてくれる。ヘタクソな自分、大好きな呼吸投げにウキウキしている自分、先輩の二教にびくびくしている自分、後輩に意地悪をしている自分等々。
 稽古に際してひとつ観察して欲しい。技に対して自分がどう取り組んでいるのか、稽古相手に対していま自分がどんな風に技を掛けているのか。また、稽古相手が自分に対してどう技を掛けているのかを。意識して観察すると自分が良く理解出来ると思う。あんまり考えすぎて人間不信に陥らないで欲しいが、技は自分を写す鏡で、稽古は本当に恐ろしいと思う。
 技を習得するということの全体を見ずに、技の習得のみにとらわれると、武道の稽古は無慈悲なものとなる。稽古相手に敵意さえ持つようになる。もともと技は排他的である。技は刃物と同じで、持つ者によって、道具にもなれば、凶器にもなる。武"術"から武"道"への移行は、刃を研ぐことから、それを使う人間を磨くということへの移行であったと思う。
 どうか自分を見つめながら稽古に精進して欲しいと願う。そして地道に稽古して早く強くなって欲しい。厳しい合気道ほど楽しいものである。


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