令和2年3月24日。
 愛する長女が、大学を卒業した。
 小さい頃から人見知りせず、人懐っこく、誰にでも笑顔を振りまく子だった。
 宝だ。
 しかし、
 小学校に上がったころだろうか。
 少し笑顔がなくなった気がした。
 教育、躾という名で、強く当たりすぎた影響だろうか。
 一緒に遊ぶ友達も少なかった。
 家にいることも多かった。
 親というエゴで、もどかしさをぶつけることもあった。
 意に沿わない、うまくいかないと、焦りをぶつけることもあった。
 中学では、剣道部に入った。
 運動部に入れという命を与えたからだ。
 高校は、家から離れて、祖母と住んだ。
 祖母と住めと言ったからだ。
 大学は自分で選んで、茨城大学工学部にした。
 合格発表を一緒に見に行った。
 「やった」と、ガッツポーズしていた。
 次に、
 「もっとうれしそうな顔をしてよ」
 口をとがらせた。
 そして、合氣道部に入った。
 合氣道部に入れと言ったからだ。
 だが、
 師範として、技ができないことをうらめしく思った。
 強く叱り、辛く当たり、部員にも悪い影響が出た。
 気づかせてくれたのが、内田先生だった。
 部員からの悩みを聴き、諭してくれた。
 内田先生との稽古は、楽しさしかない。
 笑いしかない。
 面白さしかない。
 明るい学びの道しかない。
 …従属させていた。
 あらためて、娘を見た。
 娘は必死に生きてきた。
 その姿は、次女、長男、三女の良い見本となっている。
 大学では、バイトもやり、授業料も稼ぎ、学業、部活、家事にも励んでいた。
 唯一無二の、自分だけの生き方を作っていた。
 合氣道部の仲間が増え、稽古だけでなく、食事、ボードゲームなどもやった。
 同級生との卒業旅行も2回(岡山、千葉)した。
 自分の現役以上に、大学を楽しんでいた。
 笑顔あふれる娘になっていた。
 娘よ。
 生まれてくれて、ありがとう。
 大きくなって、ありがとう。
 これからも、やりたいことをやり、羽ばたけ。
 大学院でも、さらに学べ。

 戻 る