帰ってきた技考 1〜100

2/18
出雲大社、須我神社参拝後、岡山の自宅の囲炉裏で、猪鍋をいただきました。
さっぱりしてて、酒に合う、合う(?´?`?)。
内田先生は内弟子時代、稽古後に齋藤先生と二人きりで、囲炉裏を囲むことがしばしばありました。その際、いろいろ武道の話を齋藤先生がしてくました。
これもまた、合氣道修行、稽古です。
岡山には、今も、岩間の稽古が続いています。
大先生の御技を残した岩間スタイルを深めているのは、岡山合氣修練道場です。
https://samuharaaikid0.wixsite.com/iwama

2/19
新手ぬぐいできました。
齋藤守弘先生書の、岩間武産です。
水戸市、老舗の大谷屋染工場です。前作も同じです。
仲間に配ります。売り物では……ないかな。
原本は、内田先生宅にあります。これは、先生が亡くなったあとに、縁あっていただいたものです。
内弟子時代、先生にお願いなどできるものではありませんでした。
外国人ために書いた出来栄えを、「どうだ」と見せてくれたりしても、
あげることなく、内弟子餞別にも鍛錬用の木剣をいただいたのみ、名前などありませんでした。その後の内弟子には、名前と印がありました。それも縁あって、内田先生宅にあります。
岡山には、齋藤先生の思い出があります。
2/20
2月の岡山稽古では正面打ち一教を行いました。
「痛くもかゆくもないのが、一教なんだ」
齋藤先生の教えです。
仕手は、手や腕に頼らない、掴んだままの状態で、初めから終わりまで、相手に痛みを与えない、100パーセントの合わせで、相手を腕からだけでなく、腰、膝、身体全体から真下へ落としてゆく。
痛みも、そして、かゆみすら、ありません。 2/21
正面打ち一教表の話続き。
仕手は、両手及び足を同時に進めて(口伝)、面を打つ。
このとき、受けが打ちを受けるように、誘う。
脈部(口伝)と肘上部を掴み、掴んだ圧力は、変えない。
そのまま、真下へ落としてゆく。
最初から最後まで、掴んだまま。
抑えのときにも、開いて、場所を変えたり、圧をかけたりすることは、しない。
「一教は、掴み稽古」
口伝のまま、口伝が生きる、内田先生の技。

岡山には、大先生が残し、齋藤守弘先生が教えた技の根幹があります。
2/22
正面打ち一教表の話、続き。
「表技は、どこまでも進め」
受けを越しから、膝から、腕から、頭から、全身から、崩したら、受けの頭の方、脇に足を進めて行く。
このとき、片方の足に重心が乗ってはいけない。
身体をねじってはいけない。傾けてはいけない。蹴ってはいけない。ぶつけてはいけない。
技が2段階、力技になる。
正中を保ち、まっすぐを保ち、膝を進めて行く。膝行と同じ。身体、頭が傾く膝行は、ない。
ねじれず、傾かないから、どこまでも進める。

2/23
正面打ち一教表の話、続き。
「表技は、どこまでも進め」
受けを越しから、膝から、腕から、頭から、全身から、崩したら、受けの頭の方、脇に足を進めて行く。
このとき、片方の足に重心が乗ってはいけない。
身体をねじってはいけない。傾けてはいけない。蹴ってはいけない。ぶつけてはいけない。
技が2段階、力技になる。
正中を保ち、まっすぐを保ち、膝を進めて行く。膝行と同じ。身体、頭が傾く膝行は、ない。
2/24
正面打ち一教表の話、続き。
「一教は、面白くないんだ。どんなに進んでも、初心者が来たら、大先生は座り技正面打ち一教から、始める。同じことの繰り返し」
齋藤先生の言葉です。
「でも、一教が面白くなると、合氣が進むんだ」
さらに続けて、実感ある言葉を続けてくれました。
一教は大事です。合わせとそのまま崩す呼吸力が試されます。
合氣道を進めるため、一教の精度を高め、さらに面白くします。
ねじれず、傾かないから、どこまでも進める

2/25
正面打ち一教表の話、続き。
「大先生は代稽古のとき、派手な技ではなくて、一教と四方投げをやると喜んだ」
齋藤先生の言葉です。
合氣道に一教と四方投げは、決して離れない、どこまでも進め、深める技です。
型を大事にするから、基本の有り難さがわかる。
一教をおろそかにすると、合氣道から離れます
2/26
正面打ち一教、裏。
「裏技は、どこまでも開け」
大先生の言葉です。
一教は、受けを膝から、腰から、全身から、おじきをさせるように、崩します。腕は、真下に伸ばすだけ。それで、体と直角になります。
体は、体の変更のように、開きます。大きくとか、だんだん広がっていくとかでは、ないです。
体の変更の捌きで、抑える方向を、変える。
稽古の最初に行う、体の変更を忠実にやるのみです。

2/27
正面打ち一教裏、続き。
抑えと開きは、同時です。
抑えてから、開くと、2段階になり、技が遅くなります。また、引っ張ったり、余計に押したりするような形になりやすい。
同時に動くのが、大切です。
さらに、
「別々、同時で」
上半身と下半身、腕と足、さらに身体を細分化して、別々に、同時に動かすことを、意識します。
だから、膝がついたときには、抑え終わっている。
何も足さない。何も引かない。合わせのまま行う武道、合氣道。

2/28
正面打ち一教裏、続き。
「爪先と爪先は合わせる。深いと押す形になり、浅いと引く形になる。ピッタリと、丁度良いところで、技をしなければならない」
そして、
「裏技は、体の変更」
口伝です。
体の変更と同じにしないと、技が、体の変更と同じにはなりません。
型の稽古にはなりません。
体の変更は、大先生の著作の「武道」にある練習上の心得で、稽古の最初に行うもの。何よりも、たくさんやるべき、取り組むべきもの。おろそかにできないもの。

2/29
体の変更の話。
昭和13年6月吉日発刊、大先生の著作、「武道」、練習上の心得5、「日々の練習に際しては、まづ体の変更より始まり」とあります。ですから、稽古の初めに、体の変更を行います。その話。

「爪先と爪先は合わせる。まっすぐ出し、親指は親指、人差し指は人差し指、中指は中指、薬指は薬指、小指は小指にぴったり合わせる」
齋藤先生の言葉です。
まっすぐに足を進めて、ぴったりと畳が見えないくらい、すき間なく、爪先と爪先を合わせます(踏んではだめです)。
このとき前足を出すのに、後足踵から蹴る動きや身体を傾けるとぶつかったりします。
合わせは、ぶつかりません。
両足が50対50で、重心も軸もないまま立ち、股関節から広がるようにすると、自然に膝が前に行き、足も前に出ます。
ぶつかりません。

3/1
体の変更の話、続き。
昭和13年6月吉日発刊、大先生の著作、「武道」、練習上の心得5、「日々の練習に際しては、まづ体の変更より始まり」とあります。ですから、稽古の初めに、体の変更を行います。その話。

「爪先と爪先はぴったり合わせる。合わせた足の位置はそのままで踵を送り込む」
齋藤先生の言葉です。
そして、合わせた足を、諸手取り呼吸法のように、受けの足の側面まで進めて変更(開く)のではなく、そのまま開きます。
このとき、重心が前足に乗ってはいけません。まっすぐ進めた股関節の開きのままの角度で、開いていきます。重心は、ぶつかりで、傾きにつながり、合わせには必要ありません。
50対50で、上半身もかがみもそりもなく立ったときには、重心はなく、まっすぐ立つ正中があります。そこから、股関節を外に開き、片方の爪先が外に向いたのが、半身。
自然体と半身は、何も変わりません。変わらない、自然の状態のままの変化を、技は、体の変更は求めています。

3/2
体の変更の話、続き。
昭和13年6月吉日発刊、大先生の著作、「武道」、練習上の心得5、「日々の練習に際しては、まづ体の変更より始まり」とあります。ですから、稽古の初めに、体の変更を行います。その話。
「爪先と爪先はぴったり合わせる。合わせた足の位置はそのままで踵を送り込む」
齋藤先生の言葉です。
そして、合わせた足を、諸手取り呼吸法のように、受けの足の側面まで進めて変更(開く)のではなく、そのまま開きます。
このとき、重心が前足に乗ってはいけません。まっすぐ進めた股関節の開きのままの角度で、開いていきます。重心は、ぶつかりで、傾きにつながり、合わせには必要ありません。
50対50で、上半身もかがみもそりもなく立ったときには、重心はなく、まっすぐ立つ正中があります。そこから、股関節を外に開き、片方の爪先が外に向いたのが、半身。
自然体と半身は、何も変わりません。変わらない、自然の状態のままの変化を、技は、体の変更は求めています。

3/2
帰ってきた技考、14。余談1。
昭和8年発刊、大先生の著作、「武道練習」より、雑感。
「古来より武術は神より天皇に、天皇より武将に伝わったもので、これは古言に出ている」とあります。
天皇は、すめらみことと呼びます。すめらは、清めらの説があります。清らか、澄んだ心だから、神に通じる、祈り、誓いになります。
今、コロナウィルスで、皆困っており、私も稽古が限られています。大変だから、難しい局面だからこそ、清らかな心を試されて、神に真に願い、祈ることができるのではないでしょうか。
誠、赤心は、善であり美徳です。だから、不動心が鍛えられます。余計にあわてません。
立禅で正中を鍛え、まことの合氣道を高めます。
3/3
帰ってきた技考、15。体の変更の話、続き4。
昭和13年6月吉日発刊、大先生の著作、「武道」、練習上の心得5、「日々の練習に際しては、まづ体の変更より始まり」とあります。ですから、稽古の初めに、体の変更を行います。その話。
「爪先と爪先を合わせたら、180度開く」
齋藤先生の言葉です。
前に伝えましたが、出した前足には乗らないで、開きます。
このとき、口伝とおりに、正しく完全に180度に開きます(開いた後に、後足にも重心が乗らないで)。
相手が進まないよう体で止めたりするような、斜めになって終わったりしません。
即ち、お尻、背中が向かい合うように。
合氣道の半身は完全に縦です。相手に対して、最小の面で対峙するものです。
「半身とは、相手を左右(左肩前、右肩前)に置くこと。その状態を体捌きで続けること」
内田先生の言葉です。
そこから、技=武術(剣術、杖術、体術)、理合が産まれます。

3/4
帰ってきた技考、15。体の変更の話、続き4。
昭和13年6月吉日発刊、大先生の著作、「武道」、練習上の心得5、「日々の練習に際しては、まづ体の変更より始まり」とあります。ですから、稽古の初めに、体の変更を行います。その話。
「爪先と爪先を合わせたら、180度開く」
齋藤先生の言葉です。
前に伝えましたが、出した前足には乗らないで、開きます。
このとき、口伝とおりに、正しく完全に180度に開きます(開いた後に、後足にも重心が乗らないで)。
相手が進まないよう体で止めたりするような、斜めになって終わったりしません。
即ち、お尻、背中が向かい合うように。
合氣道の半身は完全に縦です。相手に対して、最小の面で対峙するものです。
「半身とは、相手を左右(左肩前、右肩前)に置くこと。その状態を体捌きで続けること」
内田先生の言葉です。
そこから、技=武術(剣術、杖術、体術)、理合が産まれます。

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帰ってきた技考、15。体の変更の話、続き4。
昭和13年6月吉日発刊、大先生の著作、「武道」、練習上の心得5、「日々の練習に際しては、まづ体の変更より始まり」とあります。ですから、稽古の初めに、体の変更を行います。その話。
「爪先と爪先を合わせたら、180度開く」
齋藤先生の言葉です。
前に伝えましたが、出した前足には乗らないで、開きます。
このとき、口伝とおりに、正しく完全に180度に開きます(開いた後に、後足にも重心が乗らないで)。
相手が進まないよう体で止めたりするような、斜めになって終わったりしません。
即ち、お尻、背中が向かい合うように。
合氣道の半身は完全に縦です。相手に対して、最小の面で対峙するものです。
「半身とは、相手を左右(左肩前、右肩前)に置くこと。その状態を体捌きで続けること」
内田先生の言葉です。
そこから、技=武術(剣術、杖術、体術)、理合が産まれます。

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帰ってきた技考、18。体の変更の話、続き7。
昭和13年6月吉日発刊、大先生の著作、「武道」、練習上の心得5、「日々の練習に際しては、まづ体の変更より始まり」とあります。ですから、稽古の初めに、体の変更を行います。その話。
「畳と平行、水平な手の平で、開いた両の指先は並ぶ」
「大先生のように」
齋藤先生の言葉です。
これが、難しい。
剣の構えと同じなら、右手が遠くになり、左手が近くになりますが、並ばせるためには、左手を前に出さなくてはなりません(右手を掴まれて行うとき)。
しかも、相手に背面全面をぴったりと向けた、完全な半身のままで。
腰、骨盤も半身です。一直線でなくてはなりません。腰を戻してはだめです。足だけの半身になり、全身で行う半身ではなくなります。
解決方法は、2つ。
脊柱を回旋して、体の向きを少しずつ、変える(腰はもちろんそのまま)。
同時に、股関節を屈曲して、腕を伸ばす。
抜刀するとき、腰を落とす(股関節を屈曲する)と、肩甲骨の可動域が広がり、刀が抜けます。
剣の理合を使います。
「半身にこだわれ」
齋藤先生の口酸っぱく言っていた、教えを大切にしています。

完全な半身の、自然体が、一番強い。
そこから、無限の技=武術(剣術、杖術、体術)、理合が産まれます。
3/7
帰ってきた技考、19。体の変更の話、続き8。
昭和13年6月吉日発刊、大先生の著作、「武道」、練習上の心得5、「日々の練習に際しては、まづ体の変更より始まり」とあります。ですから、稽古の初めに、体の変更を行います。その話。
「僕は、大先生スタイル」
齋藤先生は、自信を持って、仰ってました。
「僕は、自分から岩間スタイルと言ってない。大先生の教えをそのまま岩間で教えていただけ。外国人が稽古した場所、東京(本部)か岩間かとか言ってたら、こう広まった。」
「だから、強いていえば、岩間スタイルは大先生スタイル」
齋藤先生の言葉です。
その証左に、大先生著の「武道」にある体の変更と、齋藤先生著の「合気道(剣・杖・体術の理合)の第一巻」にある体の変向があります。
体の変更と体の変向。
読みは、同じ、たいのへんこう。
つまり、大先生著の「武道」の存在は、齋藤先生に伝わっていないものの、稽古方法=技として体の変更は伝わっていたから、齋藤先生著の「合気道」に載ったということを、内田先生から教わりました。

3/8
帰ってきた技考、20。体の変更の話、続き9。
昭和13年6月吉日発刊、大先生の著作、「武道」、練習上の心得5、「日々の練習に際しては、まづ体の変更より始まり」とあります。ですから、稽古の初めに、体の変更を行います。その話。
「受けの肘を折る」
齋藤先生の言葉です。
仕手の、受けに手首を掴ませるため誘う手は、前に出すので、伸びています。また、仕手も手首を掴むため、手を前に出します。
つまり、両者の腕は互いに伸びた状態で、さらに互いに半身となってますので、距離が取られていて、反対の手を伸ばしても、顔面に当て身ができません。
「受けは、仕手の手首を取るだけでなく、引き寄せて、当て身を入れようとしている」
だから、
「仕手は掴まれたら、足を進めつつ、受けを引き寄せて、顔面を打つため、同時に受けの肘を折る。(型では当て身を入れないけれども)当て身を入れた時点で、技は終わっている。体の変更(開き)は、そこから」
齋藤先生は、開くことだけでなく、手の合わせも大切だと教えてくれました。開くことは、前に述べたように、重心や軸を作らないことが重要ですが、肘を折るのも相手に体重をかけるようにしては、合わせのない力技になります。
「四指を臍に向ける」
肘や手首だけでなく、肩甲骨から動かしていき、受けに対して伸ばした四指を回転させながら、臍向けていくと、高さも変わらず、受けの掴んだ手も離れないで、自然に受けの肘や手首が曲がります。
同時に、受けの肘が折れ、膝も折れ、体が崩れ、受けが無抵抗の形で、寄ってきます。
そこから、何も足さない、引かないで、開いて、残心を取ります。
だから、受けは何もできない。完全な合わせの稽古が、体の変更です。
3/9
帰ってきた技考、21。諸手取り呼吸法の話。
「諸手取り呼吸法は、剣の振りかぶりの形を、腕を2つにわけた形。座り技呼吸法も一緒」
「大先生は、剣を大事にしていた。剣を使って、合氣の話、技の説明をしていた」
齋藤先生の言葉です。
合氣道を修めるうえで、(合氣)剣は、不即不離です。
逆に、剣から離れる、剣は要らないと考えるのは、大先生の合氣道ではないと言うことになります。
ですから、
「諸手取り呼吸法は、両手で行う」
諸手で掴まれた方だけ使うのは、剣の振りかぶりにならす、呼吸法になりません。両手で同時に、同じ動きをするから、正中も分かりやすくなります。
3/10
帰ってきた技考、22。諸手取り呼吸法2、座り技呼吸法の話。
「諸手取り呼吸法は、剣の振りかぶりの形を、腕を2つにわけた形。座り技呼吸法も一緒」
齋藤先生の言葉です。
さらに、座り技呼吸法がわかりやすいので、座り技呼吸法で説明しますが、
「受けに手の平を見せないように。手刀のみを見せる」
こう、教えてくれました。
手を過剰に、まわすようにすると、手の平が受けに向いてしまいます。こうなると、手を閉じれば、剣を横に掴んだ形になり、剣を縦にまっすぐ振りかぶる形にはなりません。
そのために、
「肩幅より、やや広げた形で、受けに持たせる」
肘を上げず落とさず、そのまま曲げながら、橈屈(手首の関節を親指の方向に曲げること)をすれば、少しの回転のみの形に抑えられ、剣の振りかぶりと同じになります。
受けの体も、腕だけでなく、腰から全身から、素直に上がっていきます。
3/11
帰ってきた技考、23。諸手取り呼吸法の話3。
「受けの前足側面に、足を進めて置く。深すぎてもダメ、浅すぎてもダメ」
齋藤先生の言葉です。
受けの前足小指の付け根(小指球)の側面に、仕手の前足親指付け根(拇指球)を置きます。
このとき、足指が受けの足に触れることなく、適度に少しの距離を取ります。
足は、股関節から動かし、後足で蹴ることなく、軸を作ることなく、ぶつかることなく、身体を傾けることなく、合わせたままに進めます。
同時に腕は、肩甲骨から動かし、肘を外側に持っていき、掴まれた位置を上げることなく、下げることなく、ぶつかることなく、引くことなく、合わせたまま掴まれた位置まで肘を落として、腕は畳と平行になります(両手で行うこと)。
さらに大事なのは、正中の意識を持って行うこと。正中がなくなれば、合わせも即座になくなり、力に頼る技になります。
これらにより、受けは掴んた形のまま、腕だけでなく、全身で変化していきます。
「呼吸力とは、合わせが発動された力」
「受けの体の大小は関係ない。受けが大きくとも、仕手はことさら大きく動く必要はない」
内田先生の言葉です。
合わせですので、仕手と受けが一つになったまま、動きます。何も足しません。何も引きません。
3/12
帰ってきた技考、24。諸手取り呼吸法の話3。
「受けと同じ半身、同じ方向を向く」
齋藤先生の言葉です。
相対している状態で、受けは仕手の腕を諸手で掴みます。
仕手は、その状態から腕を動かしつつ、足を進めますが、そこから受けの方を向いたまま投げにいくのではありません。
必ず半身を(右半身なら左半身、左半身なら右半身に)変えて(転換して)、向きを変え、受けと同じ方向になります。
そして、蹴らず、股関節から足を開き、ぶつからないで足を進め、腕、全身、正中を移動させて、投げます(受けは最初に諸手で掴んだ状態、形のまま変化しますので、膝が前に折れ、腹が出て、天井を向くようになり、落下します)。
ですので、
「投げた後、受けを見てはならない。見ると、受けに蹴られる」
ような残心に、仕手はなりません。

3/13
帰ってきた技考、25。諸手取り呼吸法の話4。
「技は厳しく、投げは優しく」
岩間で稽古したら、耳馴染みのある、齋藤先生の言葉です。
諸手取り呼吸法は、呼吸法の鍛錬、稽古で、呼吸投げという名前ではありません。
掴まれた腕を引っ張り、また出すような動きは、剣の振りかぶりにならず、呼吸法ではありません。
かたよらない、軸を作らない、体重をかけない、踏ん張らない、引っ張らない、押さない、ぶつからない、ぶん投げない、オール合わせによってあらわれた力が、単なる力(強いて言えば暴力)とは別個の、大先生の名付けた呼吸力です。
その特別な力、呼吸力によって、投げの形におさまります。
ですから、受けは最初に諸手で掴んだ状態、形のまま変化しますので、仕手が前足を進め、肘を落とした時に、受けは膝が折れ、横に崩れ、仕手が両手を上げ、同じ方向を向いた時に腹が出て、仕手に体が寄ります。そして、仕手が受けに足を進めて正中移動すれば、さらにその分受けの腹が真上に向き上がることで、受けの手も上がり、受けの顔が天井を向くようになり、落下します。
ですので、投げようとして、仕手は腕を上げる必要はありません。受けの掴んだ腕が上がるから、仕手の腕が上がるようになるだけで、合わせが起こす現象(呼吸力)です。
思い出してもらうために、もう一度、
「技は厳しく、投げは優しく」
諸手取り呼吸法は、呼吸法の稽古です。
3/14
帰ってきた技考、26。諸手取り呼吸法の話5。
「大先生のようにやるんだ」
道場にかけられた、大先生の呼吸投げの写真を指しながら、齊藤先生は仰ってました。
続けて、
「大先生の腰はしっかり、ドンと、バシッと立っている。銅像は、腰がヘニャッとなっいて、大先生の腰ではない。大先生の写真のようにやるんだ」
体の変更も、剣の素振り、鍛錬打ちも強い腰を作るという目的があります。
強い腰とは、股関節が矢状面に屈曲した、体が一直線、一重身の、腰がたった、正しい半身です。
だから、傾かない、反らない、前傾などしません。
天地垂直、天と地をまっすぐに結び、敵に最小限に対峙する、(敵を左右の肩の前に置く)、正しい半身が武道家の姿でもあり、強い技を生みます。

3/15
帰ってきた技考、27。諸手取り呼吸法の話6。
「武道家は用心しなければならない」
齊藤先生の言葉です。
相半身の形から、受けは仕手の斜め前に立つように後足を進めながら、仕手の正面と脇を打ち、仕手の受けた手を下ろしながら、諸手で掴みます。
諸手取り呼吸法は、この形から、始まります。
ですので、強く掴むことに夢中になって、一重身の半身がないがしろにして、正面に立ったり、また肘を曲げたりしません。
ちゃんとした掴み方でなければ、容易に当て身が入れられるからです。
掴むことは、体の変更(すべての技)と同じで、仕手の当て身が入れられない、かつ、諸手ならば仕手を制して、仕手の腰が折れ、仕手の顔を蹴る形、即攻撃可能の形にならないといけません。
諸手取り、これは、剣の構えと同じ形。
仕手の骨に生命線を当てがいつつ握れば、自然と手の甲が上になります。かつ、臍で結んだ、一直線の、隙の少ない半身の形になります。
合氣道と剣は不即不離です。剣を語らない、使わない合氣道は、大先生の合氣道=岩間武産合氣道では、ありません。
3/16
帰ってきた技考、28。諸手取り呼吸法の話7。
「仕手の親指が下、小指が上」
「受けが普通に、素直に行えば、そういう風にはならない」
齊藤先生の言葉です。
相半身の形から、受けは仕手の斜め前に立つように後足を進めながら、仕手の正面と脇を打ち、仕手の受けた手を下ろしながら、諸手で掴みます。
仕手の腕が伸ばされ、親指が下、小指が上の状態だから、肘が曲がらず、受けは仕手を制して、肩を極め、仕手の腰を折り、頭を下げ、当て身(蹴り)を入れることができます。
諸手取り呼吸法は、このように掴まれた形から、始まります。
仕手の親指が上の形は、容易に肘が折れます。容易に技が行えない、制せられた状態からの脱出が、固い稽古です。
容易にできないから、どうしたらよいかと考える稽古になります。立ち方、角度の取り方、移動の仕方(体捌き)、合わせを考えます。
「わしは60年固い稽古をしておる。お前たちに何が分かるか」
大先生の言葉です。
大先生の合氣道に近づくためには、固い稽古をないがしろにしてはいけません。制することを考えて掴まないと、良い稽古になりません。
3/17
帰ってきた技考、29。肩取りの捌きの話1。
肩をしっかり掴まれているのだから、
「まっすぐは、さがれない」
「受けの上腕から触りつつ動かし、受けの肘を上から折ろうとしても折れない」
齊藤先生の言葉です。
岩間の稽古は、固い稽古が中心です。
受けは、仕手の肩をしっかり掴むことで、仕手の動きを制限して、かつ、引き寄せて当て身したり、肩を抑えて前のめりにして顔面を蹴ったり、倒したりしようとします。
つまり、逆を言えば、仕手にとって掴まれたということは、制されて動けず、さらに次の攻撃が来るという窮地な状態です。
それを、
「何とかなる、簡単に動ける、返せるさ」という根拠のない妄想から生まれる無思考、理論や理合が身についてないまま「合氣があるさ」という幻想から生まれる安易な考えは、窮地からの脱出の助けにはなりません。受けの掴みの中から動けません。受けの腕ももちろん折れません。
腕力、脚力だけでは受けの力が強ければ負けてしまいます。体重を載せても反発されます。より強くしようと畳を蹴って、踏ん張ろうとしても、動き、起こりが察知されて、踏ん張り自体を抑えられたり、中和させられたりすれば、力、動きが受けに伝わりません。
制せられた、その状態からの脱出を一所懸命、真剣に考えて、固くならず、繊細に動くのが大事であり、それが固い稽古の目的なのです。
仕手は、無理のない角度を探し、掴まれた肩の方の手を開き、回内させながら、手の平を畳と平行とさせ、傾かず、蹴らず、体をひねらず、反対の手で当て身しながら、正中を失わないまま動き(入身転化し)ます。そうすることで、部分からではなく、全て(仕手と受けの両方)が同時に変化します。受けは、足裏が居着いたまま、膝が折れ、腰が反り、腹が前に行って、体勢が安定から不安定に状況が逆転します。しかも、受けは、仕手にもたれているのではなく、自分で立っているだけの状態になります。即ち、徹頭徹尾、無理のない、合わせの作用が合氣の技です。
「わしは60年固い稽古をしておる。お前たちに何が分かるか」
前回と同じで、繰り返しますが、大先生の言葉です。
大先生の合氣道に近づくためには、妄想、幻想を断ち切って、固い稽古を行うことが大切です。
3/18
帰ってきた技考、30。固い稽古の話1。
「初めに、強く掴む。仕手が制せられて、何もできなければ(脱出できなければ)、次に掴むときは、仕手に合わせて、力を抜いて手加減する。これが、岩間の礼儀だ」
齊藤先生の言葉です。
岩間の稽古は、固い稽古が中心です。
稽古は、真剣です。大先生の教えとおり、気合いも出します。
受けは、仕手を制し、いつでも当て身を入れられるよう、しっかり掴みます。
白帯や初心者ならともかく、初対面の黒帯同士は、互いの実力がわかりません。勝手な思い込みで、強弱をきめることは、相手に対して失礼であり、また思わぬ不覚を取られるかもしれません。
「武道家は、用心するものだ」
齋藤先生の言葉です。
用心するからこそ、強く掴みます。
「わしは60年固い稽古をしておる。お前たちに何が分かるか」
前前回と同じで、繰り返しますが、大先生の言葉です。
大先生の合氣道に近づくためには、武道家の矜持を持って、固い稽古を行うことが大切です。

3/19
帰ってきた技考、31。合氣剣の話1。
「岩間の合氣道をしていたら、年取っても腰が曲がらない。何故なら、岩間には、大先生が残した合氣剣かあるからだ」
齊藤先生の言葉です。
岩間の稽古には、武器技(合氣剣と合氣杖)があります。
最初に行う武器技稽古は、剣の、一の素振りです。
一の素振りは、右半身で構え、右足を動かしながら、剣を振りかぶり、振り下ろす(左も構えもある)ものです。
そのとき必要なのが、隙のない半身で立ち構え、そのまま腰が回ることなく、右足を引き寄せながら振りかぶり、右足を出しながら振り下ろすことです。
半身を半身のまま、やり切ることです。
腰がぶれないよう、強い腰を作りますので、腰が曲がったりはしません。
さらに、残心して2秒静止して、一の素振りの形をやり切ります。
「半身にこだわれ」
前にも述べましたが、耳にタコができるくらい言われた、齋藤先生の言葉です。
大先生の合氣道に近づくためには、合氣剣の稽古を行うことが必要です。
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帰ってきた技考、32。片手取り一教表の話1。
「仕手の手が、畳と平行のままでは、反対の指が入らない。手を折り(掌屈させ)、隙間を作って、受けの手を掴む」
齊藤先生の言葉です。
仕手は、片手取りを掴まれたら、片手取りで合わせたまま、ぶつからないで、進みます。
その際、手を開き、回内しつつ、手の平を畳と平行した(背屈した)形になります。
ですので、仕手の反対の手が当て身をしたあと、受けの手を掴もうとしますが、仕手の手と受けの手が密着しているので、仕手が受けの手を取ろうとしても、指が入らず取れません。
そこで、手を掌屈させて、隙間を作る必要があります。
最初に掌屈させた後に、体を動かすことは、基本の形ではありません。合わせをないがしろにすることになります。
「技は、形と順序だ」
これも耳馴染みのある、齋藤先生の言葉です。
そして、仕手は受けの手を掴んだら、間髪入れず、同時に上げ、進んで、一教の形に抑えます。
時間のかかる技、術は、技、術とは呼べません。

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帰ってきた技考、33。二教表(一教表も入るよ)の話1。
「一教と二教の区別をしっかりしないと、よい稽古と言えない」
「二教は、受けの手首を、内側に圧迫(掌屈)する形。一教は、そこまでやらない」
齊藤先生の言葉です。
片手取り(肩取りとかも含む形)の一教表と二教表の抑え、脇腹へ蹴り進む前の形は、手首を内側に折り込んでおり、よく似ています。
似ていますが、一教は一教の目的があり、二教は二教の目的があります。
二教は、受けの手首を内側に圧迫、刺激して、受けを制するだけでなく、関節を刺激することで血流を良くして、受けの身体を健康にする目的もあります。
痛みだけを特化して、痛みを与えるだけを目的として、稽古しているというのは、愛に通じるとうたった大先生の合氣道とは、違います。
ちなみに、一教は、
「痛くも、かゆくもないのが、一教なんだ」
齋藤先生の言葉をかみしめ、稽古しないといけません。
一教を一教として考えてやりきり、二教を二教として考えてやりきることが大切です。
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帰ってきた技考、34。二教表の話2。
「杖と同じように、突く形に。これは、大先生の教え」
齊藤先生の言葉です。
二教表の抑えは、受けの腕が伸びるよう仕手が掴んでおり、仕手の足が受けの脇腹に進むと同時に、仕手の腕を同方向に進めて、受けを倒します。
この形が、合氣杖の、返し突きの形と同じになります。
一教でも、同じですが。
しかし、この時に、受けをより崩そうとして、肘を下のほうに強く押しません。
それでは、まっすぐ突くという杖の形ではなくなります。片方だけ強くするのは、片寄りが生まれて、まっすぐ立つバランスがなくなり、正中が消え、真に天地水平、左右が釣り合っている、まつり(真釣り)ではなく、良くない、かたつり(片釣り)の状態になってしまいます。
仕手は、かたよらず、蹴らず、掴んだ手の力、圧を変えないまま、突きます。
仕手に抑えられて、受けはかろうじて、二本の足で不安定ながら、立っているだけです。だから、仕手の突き進む動きに合わせて、受けの身体が移動し、落ちるだけです。
そして、受けの身体が畳に付いたら、固めに入ります。
突然ですが、
「祭政一致の本義を知って欲しいのです」
大先生の言葉です。
大先生は、「まつり」というものを大事にしていました。
思考は、知識の積み重ねが大事。だからこそ、考えが広がり、深くなり、今、行っていること(合氣道)がより関連付けられて、有り難み、大切さを感じ入ります。
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帰ってきた技考、35。武器の握り(呼吸法)の話1。
「両方の手の甲がいつも上。合氣剣、合氣杖も一緒」
齊藤先生の言葉です。
剣の振りかぶりの形が、呼吸法の形であると話しました。
しかし、正しく握り構えないと、振りかぶっても、呼吸法になりません。
そのためには、両手の甲を上にすること。
武器の上から生命線に沿ってあてがい握れば、必ず手の甲が上になります。
剣は、そのままの形で、足を動かしながら振りかぶり、振り下ろします。
杖は、そのままの形で、進みたぐって、突き出します。
そして、このとき肝心なのが、剣も杖もそれぞれ、常に(←ここ大事)、両方の手の甲が上のままにするということ。
剣、杖を止めようとして、一回ゆるめた後に、しぼる形は、手の甲が上でなく、横にいってしまうので、教えに反します。
「技は、形と順序だ」
齋藤先生の言葉です。
形を大事にしないと、型稽古(型からの要求とは何かを考え、行い続け、思考錯誤の末に辿り着いたひらめき)が深まりません。大先生に誰よりも一番多く触れて学んだ、齋藤先生が作った大先生に近づく大道から、自ら外れていくことになってしまいます。
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帰ってきた技考、36。二教の抑えの話1。
「大先生は、肩を挟まなかった」
齊藤先生の言葉です。
仕手は、二教(受けの手首を内側に圧迫、刺激)をしてから、受けの前面を畳に付けたあと、受けの腕を立て、抑えに入ります。
その際、片方の膝は受けの頭の方へ進めていきます。
受けの肩を挟むことは、しません。
挟む必要も、ありません。
仕手は、受けの腹、胸、肩が畳に密着したまま、受けの腕を仕手の肘で強く挟んで固定させつつ、片方の膝を受けの頭の方へ進めて行きます。この仕手の動きが受けの腕がさらに立てさせ、より受けの身体が畳に密着させて、動けなくして、制します。
受けの肩が畳から離れていくのは、敵に隙きを与えることになります。
「隙なく、入れ」
大先生の教えです。
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帰ってきた技考、37。二教の抑えの話2。
「青竹を砕くように。これは、大先生の教え」
齊藤先生の言葉です。
仕手は、二教(受けの手首を内側に圧迫、刺激)をしてから、受けの前面を畳に付けたあと、受けの腕を立て、抑えに入ります。
そして、畳から立てさせられた、受けの腕は、仕手が手を離せば、関節の稼動域に合わせて、まるく半円を描くように、落ちていこうとします。
間髪入れずに仕手は、仕手の腕を差し入れて、受けの腕を、仕手の肘で受け止め、挟みます。
このとき、上の口伝を意識して、強く挟みます。
青竹を折るのではなく、砕くです。だから、より強い力です。
秘伝の記事に、実際に大先生が青竹を砕いた映像があると書いてありました(持っている人は、隠さずに公開すべき!)。
ですので、まっすぐ伸びた受けの腕を強く挟むことにより、腕は曲がらず固定されます。同時に片方の膝を受けの頭の方へ進めて、仕手の身体を移動させます。
そして仕手は、受けの腕を挟んだ手で仕手自身の襟を掴んで、より受けの腕を固定させます。
「絶対に、外れることは、ないんだ」
齋藤先生は、こう仰っいました。
最後に、ゆっくりと受けの腕を受けの頭の方へ倒します。
「氣も魂も 言霊もまた 身もものも すきなくあわす 錬達の道」
皇武、第2巻第9号、昭和9年9月発行。
植芝晴眼の名で、皇武教範より。
隙なく合わせよ、大先生の教えです。

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帰ってきた技考、38。二教の抑えの話3。
「お尻が踵から、離れないように」
齊藤先生の言葉です。
仕手は、
1.二教(受けの手首を内側に圧迫、刺激)をしてから、
2.受けの前面を畳に付けたあと、
3.受けの腕を立て、強く挟んで、
4.片方の膝を受けの頭の方へ進めて、
5.挟んだ手で自身の襟を掴んで、受けを完全に固定させた後、
6.ゆっくりと受けの腕を、畳に肩を付けたまま、根本から腹で押して、受けの頭の方へ倒していきます。
これら一連の動きの最後の6、仕手の腹で受けの腕を押すとき、膝行の形が活かすので、仕手はお尻を踵に付けたままにしないといけません。
かつ、腰は立ててやらないと、腹で押せず、猫背になって胸で押すことになりますので、姿勢は大事です。お尻は踵に触れているだけです。重力に負けた形で、お尻の圧力が踵にかかり過ぎると、腰は立っておらず、曲がって、よい姿勢になりません。
座技、膝行は、合氣道にとって、大事なものです。
座ることは、自然と股関節を深く使うことになります。腰を立てて、百会、会陰を天地垂直、まっすぐに結ぶと、姿勢も、そして余計な力も抜けて、気持ちもよくなります。
「技は、座技正面打ち一教表から、始まる」
晩年になっても齋藤先生は、こう仰って、初心者がきたら、この技を示してくれました。
座技、膝行は、やるべき、やり続けるべきものです。
ちなみに、齋藤先生は、「すわりわざ、たちわざ」と、仰ってました。「ざぎ」とは、仰ってません。
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帰ってきた技考、39。二教抑えの受けの話1。
「すぐに畳を叩かない。ゆっくり息を吐くと、もう少し、関節が柔らかくなる。そして、相手に分かる程度に畳を叩いて、技を解いてもらう。そして、攻守交代する」
齊藤先生の言葉です。
受けは、仕手が行う、下記の1?6の動きを受けます。
1.二教(受けの手首を内側に圧迫、刺激)をしてから、
2.受けの前面を畳に付けたあと、
3.受けの腕を立て、強く挟んで、
4.片方の膝を受けの頭の方へ進めて、
5.挟んだ手で自身の襟を掴んで、受けを完全に固定させた後、
6.ゆっくりと受けの腕を、畳に肩を付けたまま、根本から腹で押して、受けの頭の方へ倒していきます。
これら一連の動きの最後の6で、受けは畳を叩くと、仕手が固めた技を解く約束になっています。
この6の時に、痛いからといって、わめいたり、畳をバンバン叩くことはありません。
畳に罪は、ありません。畳をいじめない。
5の時点で、固められて、返すこともできませんので、畳に付いて伸ばされた腕が倒されるのをゆっくりと受けて、仕手に関節の可動域を広げてもらえばよいのです。
その時、息を吐きます。その分、身体がゆるまります。合氣道を受ける身体が作られ、血流がよくなり、健康になります。
齋藤先生著の「合気道、剣・杖・体術の理合」にもありますように、大先生が行う合氣道は、△○□で表された、四方八方に広がりおさまる、イキというものを大事にします。止まることはありません。
仕手は、受けが畳を叩いたら、技を解いて、立ち上がります。受けの腕を折って、受けの背中に付けたりするのは、二教の技にありません。やったことがありません。
また、面白がって、技を解かないでいじめたり、受けが柔らかいからといって、どんどん腕を倒していくことは、稽古ではありません。
合氣道は、型稽古。仕手と受けの、約束がある稽古です。
だから、楽しく、長く稽古ができ、高められます。
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帰ってきた技考、40。二教の受けの話1。
「頑張らないで、素直に受ける。膝を折って、落ちて、畳を叩く」
齊藤先生の言葉です。
二教は、痛いです。でも、痛いからといって抵抗するのは、よくありません。腕を突出して押し返そうとしたり、踏ん張ってしゃがまないようにしたりするなど、余計な力を入れたりしたら、良い稽古にならず、怪我もしやすく、得なものは何一つありません。
素直に受ける、これが大事です。
道場に「頑張り合いの稽古を禁止します」という張り紙がありました。
「これを見ろ!お前ら稽古は、良くないんだ!」
齋藤先生が一喝されたことを、思い出します。
合氣道は、型稽古。仕手と受けの、約束がある稽古です。
だから、楽しく、長く稽古ができ、高められます。
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帰ってきた技考、41。二教の受けの話2。
「先輩の技は、きつかった。帰って、飯を食べようとしても、箸が持てず、母親におにぎりしてもらっても、持てず、結局手で掻きこんで食べた。」
「膏薬を貼って、道場に行けば、必ずそこを狙われた。だから、道場に入る前に、剥がした。」
「痛いからと言って、稽古を休んだことはない。」
「そうして、稽古するうちに、うまくなって、強くなって、合氣道が好きになった」
齊藤先生の言葉です。
二教は、痛いです。
先輩にやられたから、同じように後輩にやってしまう。あまつさえ、やってよいと、考えてしまう。
これは、悪しき伝統です。ある意味、いじめの連鎖です。ふんぞりかえて、あぐらをかいた伝統など、絶たなくてはなりません。
やるなら、やった先輩本人に、やり返す気持ちで、稽古に励むことです。
そうすれば、自然に強くなり、イヤな先輩も効かないからと言って先輩から避けていき、イヤだったことも、気にしなくなります。
受けも素直に受けて、早く畳を叩くことです。必要以上に、我慢しないこと。
でも、それでも、きつく、痛めつけられることもあるでしょう。離さないで、仕手が納得しないからと、きめ続ける愚か者もいるでしょう。
そのときは、
「叩いてますので、やめてください。技を解いてください」
と、わめくだけでなく、周り、先生にわかるように、はっきり言うことです。
それでも変わらず、精神修養を名目に暴力を認める道場は、良い道場とは言えません。
昭和13年6月発刊、大先生著の武道、練習上の心得、3にこう書いてあります。
「練習は、常に愉快に実施するを要す」
合氣道は、型稽古。仕手と受けの、約束がある稽古です。
だから、楽しく、長く稽古ができ、高められます。
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帰ってきた技考、42。二教裏技の話1。
「曲がらない肘なんて、ないんだ。曲がらないのは、曲げる方向が間違っているからだ」
齊藤先生の言葉です。
二教は、受けの手首を掌屈させて、圧迫、刺激する技です。
裏技は、胸とかもありますが、主に肩の付け根に受けの親指付け根から、人差し指に沿って、まっすぐ縦にしっかり押し付けて、ぶれることのないようにしてから、受けの肘を折って、下方向にきめていきます。
圧迫、刺激するという二教の形は、受けが落ちて、畳を叩いてから、肘を巻き込むまで、変わりません。
これら一連の動きの、二教裏技をかけるとき、受けの肘を曲がっていないと、裏技の稽古が中途半端になります。
肘は、関節なので、曲がります。強引にやる必要はなく、受けの関節(折れる方向)を考えて、掴んだ仕手の肘を外側に動かせばよいのです。
このとき、仕手ではなく、受けの身体が寄ってくること。
仕手が寄っていく動きは傾きにつながります。正中が消えて、合わせの技ができなくなります。
受けは、肘が移動された分、受けの身体全体も移動されて、受けが下手な人なら腰砕けの状態になって、その後の下方向へのきめに対応できずに、あぐらをかくように落ちてしまいます。
「合わせは、角度だ」
齋藤先生の教えです。
昭和13年6月発刊、大先生著の武道、練習上の心得、3にこう書いてあります。
「練習は、常に愉快に実施するを要す」
合氣道は、型稽古。仕手と受けの、約束がある稽古です。
だから、楽しく、長く稽古ができ、高められます。
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帰ってきた技考、43。二教裏技の話2。
「手首を内側に巻き込んで、へにゃっとしてはいけない。外側にしたまま掴んで、受けの肘を曲げるんだ」
齊藤先生の言葉です。
二教は、受けの手首を掌屈させて、圧迫、刺激する技です。
裏技は、胸とかもありますが、主に肩の付け根に受けの親指付け根から、人差し指に沿って、まっすぐ縦にしっかり押し付けて、ぶれることのないようにしてから、受けの肘を折って、下方向にきめていきます。
これら一連の動きの、受けの肘を曲げるとき、受けの腕に引っ掛けるようにすると、手首が内側になり、正しく掴むことがおろそかになります。
背屈して、掴みます。
両方の手で、しっかり掴むから、受けの手がぶれません。
そして、強引にやる必要はなく、受けの関節(折れる方向)を考えて、掴んだ仕手の肘を外側に動かせばよいのです。
このとき、仕手ではなく、受けの身体が寄ってくるように。
仕手が寄っていく動きは傾きにつながります。正中が消えて、合わせの技ができなくなります。
「合わせは、角度だ」
齋藤先生の教えです。
昭和13年6月発刊、大先生著の武道、練習上の心得、3にこう書いてあります。
「練習は、常に愉快に実施するを要す」
合氣道は、型稽古。仕手と受けの、約束がある稽古です。
だから、楽しく、長く稽古ができ、高められます。
4/1
帰ってきた技考、44。二教裏技の話3。
「受けの手首を内側に圧迫、刺激する。二教の形をやり続けるんだ。」
「受けの手首がまっすぐになったら、返し技される」
齊藤先生の言葉です。
二教は、受けの手首を掌屈させて、圧迫、刺激する技です。
裏技は、胸とかもありますが、主に肩の付け根に受けの親指付け根から、人差し指に沿って、まっすぐ縦にしっかり押し付けて、ぶれることのないようにしてから、受けの肘を折って、下方向にきめていきます。
両方の手で、しっかり掴んで、受けの手をぶれさせないようにする。
受けの肘を折るときに、手首をきめていないと、二教が解けて、受けの返し技が可能になってしまいます。
仕手は、強引にやる必要はなく、受けの関節(折れる方向)を考えて、掴んだ仕手の肘を外側に動かします。
このとき、仕手ではなく、受けの身体が寄ってくるように。
仕手が寄っていく動きは傾きにつながります。正中が消えて、合わせの技ができなくなります。
「技は形と順序だ」
齋藤先生の教えです。形をしっかりやらないと、技になりません。
昭和13年6月発刊、大先生著の武道、練習上の心得、3にこう書いてあります。
「練習は、常に愉快に実施するを要す」
合氣道は、型稽古。仕手と受けの、約束がある稽古です。
だから、楽しく、長く稽古ができ、高められます。
4/2
帰ってきた技考、45。二教裏技の話4。
「受けの手刀が、受けの鼻っ柱に向く」
齊藤先生の言葉です。
二教は、受けの手首を掌屈させて、圧迫、刺激する技です。
この二教の形を、ずっとするように。
1.受けの手首を圧迫、掌屈させるよう掴みます。受けの手首を掴む手はずっと背屈です。
2.受けの手を上げて、仕手の肩の付け根に、受けの親指付け根から、人差し指に沿って、まっすぐ縦にしっかり押し付けます。
(受けの手刀は、受けの鼻っ柱に向いていません。受けの腕を伸ばしたまま、互いの身体は正面を向いてます。)
3.受けの関節(折れる方向)を考えて、掴んだ仕手の肘を外側に動かします。
腰は回らず、受けに対して、股関節を屈曲、脊柱を回旋して、半身のままで行います。
(このとき、仕手ではなく、受けの身体が寄ってくるようにします。受けの手刀が、受けの鼻っ柱に向きます。)
4.受けの手首が、二教にきめられて全く動かず、仕手が下方向にきめていくと、受けは膝を折って、仕手以上に落ちてゆきます。
(仕手の肩口にくっついたままですので、受けの落下に合わせて、受けの手刀は、受けの鼻っ柱に向っていくような形になります。)
このとき、受けに対して押していかないように。踏ん張り、傾きが生まれて、受けが抵抗の機会を得ることになります。正中が消えて、合わせの技を完遂できなくなります。
「技は形と順序だ」
齋藤先生の教えです。形をしっかりやらないと、技になりません。
昭和13年6月発刊、大先生著の武道、練習上の心得、3にこう書いてあります。
「練習は、常に愉快に実施するを要す」
合氣道は、型稽古。仕手と受けの、約束がある稽古です。
だから、楽しく、長く稽古ができ、高められます。
4/3
帰ってきた技考、46。二教裏技の話5。
「受けの手首を肩にくっつけたまま、仕手は、手刀で受けの身体を引き寄せる。仕手の足は動かないで、膝を着く。」
齋藤先生の言葉です。
二教は、受けの手首を掌屈させて、圧迫、刺激する技です。
受けの手首は、仕手の肩口にしっかり付けられ、二教にきめられて全く動きません。仕手が下方向にきめていくと、受けは膝を折って、仕手以上に落ちてゆき、両膝が付いて、畳を叩きます。
(仕手の肩口にくっついたままですので、受けの落下に合わせて、受けの手刀は、受けの鼻っ柱に向っていくような形になります。)
そして、仕手は手刀を受けの肘にあて、角度を考えながら、畳に向かって下ろしてゆきます。
すると、受けの身体は、手首、肘、肩、それぞれの関節の働きで、円く動いて、仕手に寄っていきながら、畳に着きます。仕手は、足を動かすことなく、そのまま膝を着きます。
しかし、受けの手首が肩から離れてしまうと、受けの身体は、直線的に畳に落ちていきます。その分距離ができて、仕手は足を進めないといけなくなります。
受けの身体前面が畳に着いたら、その後は、以前書いた固めの動きになります。
「合わせは、角度だ」
齋藤先生の教えです。角度を考えないと、技になりません。
昭和13年6月発刊、大先生著の武道、練習上の心得、3にこう書いてあります。
「練習は、常に愉快に実施するを要す」
合氣道は、型稽古。仕手と受けの、約束がある稽古です。
だから、楽しく、長く稽古ができ、高められます。
4/4
帰ってきた技考、47。二教裏技の話6、横面打ちの受けが話1。
横面打ちを進んで受けて、当身した後は、当身した手は受けた手の上に持ってゆく。」
「受けた手の下に持ってゆくと、入身投げはできなくないが、二教はできない。」
「だから、何でもいいのではなく、大先生の形通りにやらなくてはいけない」
齋藤先生の言葉です。
横面打ちを進みながら受けて、当身した手を動かして二教に持ってゆくときは、隙なくやらなくてはなりたません。
受けた手の下に、当身した手を持ってゆくと、いなした手によって、受けの手が離れていき、滑らすように二教が取れなくなります。
必ず、受けた手の上に、当身した手を持ってゆき、いなすとそのまま二教に取れます。
そして、前に述べたように、二教をきめます。
「技は、形と順序だ」
齋藤先生の教えです。大先生の教えを通りにやらないと、大先生の合氣道、技になりません。
昭和13年6月発刊、大先生著の武道、練習上の心得、3にこう書いてあります。
「練習は、常に愉快に実施するを要す」
合氣道は、型稽古。仕手と受けの、約束がある稽古です。
だから、楽しく、長く稽古ができ、高められます。
4/5
帰ってきた技考、48。三教の話1。
「二教は、手首を内側に圧迫、刺激する。三教は、外側にひねる。」
齋藤先生の言葉です。
そして、
「関節のかすを取るんだ。」
大先生の教えを伝えてくれました。
合氣道の技は、ただ単にひねったりするだけの、手首の関節のみを刺激するのではありません。肩甲骨まで刺激し、可動域を広くして、固めまでいく間にも全身の各関節を柔らかくします。そうして、全身の凝りを取り、血流を良くしていきます。
一人稽古で、剣の峰に生命線を当てて、手の甲が上のままで、残心たっぷりの素振り(一直線上の半身をキープ)をしたり、両手をまっすぐにして、手の平を外側に向けて、三教の形を取りながら、両脇に5分そのままにキープしてください。
十分、刺激されますよ。
合氣道は、合氣道の稽古をすることによって、合氣道を行う身体を作り上げること。その中から、神に通じる力(神通力)を得ること。神に通じることを、求めない力は、傍若無人な、暴力になります。
「合氣道ほど、素晴らしい健康法はない。」
大先生の言葉です。良き心で、良き技を行うことが大事です。
4/6
帰ってきた技考、49。三教の話2。
「二教は、手首を内側に圧迫、刺激する。三教は、外側にひねる。」
「受けの手はまっすぐ。ひねり過ぎてはいけない。」
齋藤先生の言葉です。
三教を効かせようとして、ねじりすぎると、手の甲(小指側から)が上がり、背屈する形になっていきます。
試してみればわかりますが、横の背屈した場合での三教は、肩まで刺激されず、指先を真下にした場合は、肩まで刺激します。 
三教は、肩甲骨から伸びた腕全体をきめます。
合氣道の技は、ただ単にひねったりするだけの、手首の関節のみを刺激するのではありません。肩甲骨まで刺激し、可動域を広くして、固めまでいく間にも全身の各関節を柔らかくします。そうして、全身の凝りを取り、血流を良くしていきます。
一人稽古で、剣の峰に生命線を当てて、手の甲が上のままで、残心たっぷりの素振り(一直線上の半身をキープ)をしたり、両手をまっすぐにして、手の平を外側に向けて、三教の形を取りながら、両脇に5分そのままにキープしてください。
十分、刺激されますよ。
「合氣道ほど、素晴らしい健康法はない。」
大先生の言葉です。良き心で、良き技を行うことが大事です。
4/7
帰ってきた技考、50。正面打ち三教の話3 。
注)正面打ちは、仕手から行います。受けが打ってくるのを捌くのは、基本ではありません。仕手から打っていく、これが大先生の教えです。原点は、昭和13年発刊、植芝盛平大先生著、「武道」にあります。
「一教の形で抑えてから、受けの脇腹に足を進める。次いで、手を差し入れて、下から受けの手を三教に取る。」
齋藤先生の言葉です。
一教の形で、受けを腰から折り、おじぎさせた後、足を進め、肘上部(肘の真上ではない)を掴んでいた手を離して、受けの脇から差し込み、受けの手を三教に取ります。
このとき、起き上がらせないと思って、差し込んだ肩を上から押さえつけるようにすると、受けに抵抗を与えてしまいます。
また、前傾して、正中を失っても、抵抗を与えてしまいます。
「痛くもかゆくもないのが一教なんだ。」
齋藤先生の教えとおり、一教で、徹底的に合わせを勉強します。ですから、腰を折ったときも、足を進めたときも、合わせの状態は正面打ちで触れたところから続いています。そこに、手を差し入れて、足の代わりに肩が受けの脇に付いただけです。
余計な圧力も、身体のぶれも、傾きも、ねじれも必要ありません。正しい半身(股関節の屈曲)は必要です。
「一教は、面白くない。でも、一教がわかると、合氣が進むんだ。」
齋藤先生の教えとおりに、合氣道を行うべきです。
4/8
帰ってきた技考、51。正面打ち三教の話4。
注)正面打ちは、仕手から行います。受けが打ってくるのを捌くのは、基本ではありません。仕手から打っていく、これが大先生の教えです。原点は、昭和13年発刊、植芝盛平大先生著、「武道」にあります。
「三教に取った受けの腕は、お腹にぴったりくっつけて、離さない。高いと返されてしまう。」
齋藤先生の言葉です。
一教の形で、受けを腰から折り、おじぎさせた後、足を進め、肘上部(肘の真上ではない)を掴んでいた手を離して、受けの脇から差し込み、受けの手を三教に取ります。
この後、進めた足は動かさず、反対の足を進めて、上半身を起こしつつ、当て身しながら、三教をきめます。
このときに、受けの腕は、仕手の身体にくっついたままにします。高いと、受けが肘を落としやすくなって、三教を返さりたりします。
仕手の身体から離して、両手できめるのも、基本ではありません。
大先生著の「武道」に、写真があります。
4/9
技考52(一日一考)。正面打ち三教の話5。
注)正面打ちは、仕手から行います。受けが打ってくるのを捌くのは、基本ではありません。仕手から打っていく、これが大先生の教えです。原点は、昭和13年発刊、植芝盛平大先生著、「武道」にあります。

「受けの肘の上に、手を置かない。手を置くと、脇が空いて、隙ができてしまう。片手でやるんだ。」
齋藤守弘先生の言葉です。
1.一教の形で、受けを腰から折り、おじぎさせた後、足を進め、肘上部(肘の真上ではない)を掴んでいた手を離して、受けの脇から差し込み、受けの手を三教に取ります。
2.進めた足は動かさず、反対の足を進めて、上半身を起こしつつ、当て身しながら、三教をきめます。
このときに、受けの腕は、仕手の身体にくっついたままにします。高いと、受けが肘を落としやすくなって、三教を返さりたりします。
3.次の動きは、受けを再びおじぎさせ、倒し、固めに入ります。しかし、おじぎさせようとして、受けの肘の上に手を置いて、上から押そうとする形は無く、教えではありません。
置けば、脇が自然に上がります。隙もできて、力も入りません。
大先生の技を行うのですから、隙なくやらなくてはなりません。
4/10
技考53(一日一考)。正面打ち三教の話6。
注)正面打ちは、仕手から行います。受けが打ってくるのを捌くのは、基本ではありません。仕手から打っていく、これが大先生の教えです。証左は、昭和13年発刊、植芝盛平大先生著、「武道」にあります。

「受けの肘の上に、手を置かない。手を置くと、脇が空いて、隙ができてしまう。片手でやるんだ。」
そして、
「バイクのアクセルをふかすように。手の甲は上。」
齋藤守弘先生の言葉です。
1.一教の形で、受けを腰から折り、おじぎさせた後、足を進め、肘上部(肘の真上ではない)を掴んでいた手を離して、受けの脇から差し込み、受けの手を三教に取ります。
2.進めた足は動かさず、反対の足を進めて、上半身を起こしつつ、当て身しながら、三教をきめます。
このときに、受けの腕は、仕手の身体にくっついたままにします。高いと、受けが肘を落としやすくなって、三教を返さりたりします。
3.受けの肘の上に手を置かず、片手のみ、三教をきめた手を落としながら、手の甲を上にして、横に移動させます。この動きが、受けの身体を再びおじぎさせ、不安定な状態にさせます。
手の甲が上にならず、下側に巻き込むようなると、受けの身体が十分に伸びていきません。
手の大きい人に行うのは難しいですが、教えを意識することは、型稽古に必要なことです。
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技考54(一日一考)。正面打ち三教の話7。
注)正面打ちは、仕手から行います。受けが打ってくるのを捌くのは、基本ではありません。仕手から打っていく、これが大先生の教えです。証左は、昭和13年発刊、植芝盛平大先生著、「武道」にあります。

「1、2。外側、内側に、足と手を動かす。」
齋藤守弘先生の言葉です。
1.一教の形で、受けを腰から折り、おじぎさせた後、足を進め、肘上部(肘の真上ではない)を掴んでいた手を離して、受けの脇から差し込み、受けの手を三教に取ります。
2.進めた足は動かさず、反対の足を進めて、上半身を起こしつつ、当て身しながら、三教をきめます。
3.受けの肘の上に手を置かず、片手のみ、三教をきめた手を落としながら、手の甲を上にして、横に移動させます。この動きが、受けの身体を再びおじぎさせ、不安定な状態にさせます。
4.受けの肘部を上から掴み、受けを倒して、固めに入ります。
この3と4のとき、教えとおりに1、2と順番に、手の動きと同時に足を動かしますが、上から押さえつけませんし、横に引っ張ったりしません。
足が動くということは、正中が移動するということ。合わせの状態が続くので、受けの足は動かず、身体は伸びて、倒れます。
「合わせのない技は、暴力。」
内田先生の言葉です。暴力反対!を貫き通しましょう。
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技考55(一日一考)。正面打ち三教の話8。
注)正面打ちは、仕手から行います。受けが打ってくるのを捌くのは、基本ではありません。仕手から打っていく、これが大先生の教えです。証左は、昭和13年発刊、植芝盛平大先生著、「武道」にあります。
「下から滑らすように取る。考えなしに、パッと取ってはいけない。」
「隙ができて、受けがくるっと回って、当て身をくらわれる」
齋藤守弘先生の言葉です。
1.一教の形で、受けを腰から折り、おじぎさせた後、足を進め、肘上部(肘の真上ではない)を掴んでいた手を離して、受けの脇から差し込み、受けの手を三教に取ります。
2.進めた足は動かさず、反対の足を進めて、上半身を起こしつつ、当て身しながら、三教をきめます。
3.受けの肘の上に手を置かず、片手のみ、三教をきめた手を落としながら、手の甲を上にして、横に移動させます。この動きが、受けの身体を再びおじぎさせ、不安定な状態にさせます。
4.受けの肘部を上から掴み、移動することで受けを倒して、固めに入ります。
5.固めは、倒れたら、すぐ受けの手を取るのではなく、肩から滑らすように、上に持っていって、取ります。
受けが回るのを防ぐためです。齋藤先生は、回る形を実演して、技をしっかり行うことを教えてくれました。
技は、隙なく合わせることが大切です。
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技考56(一日一考)。正面打ち三教の話9。
注)正面打ちは、仕手から行います。受けが打ってくるのを捌くのは、基本ではありません。仕手から打っていく、これが大先生の教えです。証左は、昭和13年発刊、植芝盛平大先生著、「武道」にあります。
「手の平が上を向くように。受けの手の甲と、下から滑らすように上がった仕手の手の平か合うように。受けの手が内側に曲がったら、二教になる。」
齋藤守弘先生の言葉です。
1.一教の形で、受けを腰から折り、おじぎさせた後、足を進め、肘上部(肘の真上ではない)を掴んでいた手を離して、受けの脇から差し込み、受けの手を三教に取ります。
2.進めた足は動かさず、反対の足を進めて、上半身を起こしつつ、当て身しながら、三教をきめます。
3.受けの肘の上に手を置かず、片手のみ、三教をきめた手を落としながら、手の甲を上にして、横に移動させます。この動きが、受けの身体を再びおじぎさせ、不安定な状態にさせます。
4.受けの肘部を上から掴み、移動することで受けを倒して、固めに入ります。
5.固めは、倒れたら、すぐ受けの手を取るのではなく、肩から滑らすように、上に持っていって、取ります。
4の倒したときなどに、手首の関節は曲がりやすいので、受けの手が内側に掌屈することがあります。
齋藤先生は、三教の技を最後までしっかり行うよう、教えてくれました。
二教と三教、区別することが大切です。
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技考57(一日一考)。正面打ち三教の話10。
注)正面打ちは、仕手から行います。受けが打ってくるのを捌くのは、基本ではありません。仕手から打っていく、これが大先生の教えです。証左は、昭和13年発刊、植芝盛平大先生著、「武道」にあります。
「大先生は、二教と同じく、固めは受けの肩を膝で挟まなかった。」
「受けの肩は、畳に付ける。」
齋藤守弘先生の言葉です。
1.一教の形で、受けを腰から折り、おじぎさせた後、足を進め、肘上部(肘の真上ではない)を掴んでいた手を離して、受けの脇から差し込み、受けの手を三教に取ります。
2.進めた足は動かさず、反対の足を進めて、上半身を起こしつつ、当て身しながら、三教をきめます。
3.受けの肘の上に手を置かず、片手のみ、三教をきめた手を落としながら、手の甲を上にして、横に移動させます。この動きが、受けの身体を再びおじぎさせ、不安定な状態にさせます。
4.受けの肘部を上から掴み、移動することで受けを倒してます。
5.膝を畳に付けたら、受けの肩を挟むことなく、片方の膝を受けの頭の方へもっていきます。
6.受けの肩を畳に付けて、すぐ受けの手を取るのではなく、肩から滑らすように、上に持っていって、取ります。
7.三教を効かせた形で、下腹から傾け、受けの頭の方へ受けの腕をゆっくり倒していきます。
固めで、腕をねじ切るような動きは、受けの頭の方にいきません。
受けの肩は畳に付けたまま。
受けが息をゆっくり吐いて、畳を叩いたら、固めを解いて離れます。このとき、受けの肘を折ったりもしません。
大事ことは、二教も三教も変わりません。
「合氣道は、最高の健康法。」
痛めつけることは、武道=合氣道ではありません。
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技考58(一日一考)。正面打ち三教の話11。
注)正面打ちは、仕手から行います。受けが打ってくるのを捌くのは、基本ではありません。仕手から打っていく、これが大先生の教えです。証左は、昭和13年発刊、植芝盛平大先生著、「武道」にあります。
「三教裏は、足は出ない。」
「受けの後ろの人に、三教をかけるように。」
齋藤守弘先生の言葉です。
三教裏技は、
1.一教裏の形で、受けを腰から折り、おじぎさせた後、足を進め、肘上部(肘の真上ではない)を掴んでいた手を離して、受けの脇から差し込み、受けの手を三教に取ります。
2.両手で取り、上半身を上げて、受けを起こしつつ、三教をきめます。このときに、仕手の身体から、仕手の手は離れていかないように。
3.受けの肘の上に手を置かず、片手のみ、三教をきめた手を落としながら、手の甲を上にして、足と同時に受けの後ろに移動させます。この動きが、受けの身体を再びおじぎさせ、不安定な状態にさせます。
4.受けの肘部を上から掴み、移動することで受けを倒してます。
5.膝を畳に付けたら、受けの肩を挟むことなく、片方の膝を受けの頭の方へもっていきます。
6.受けの肩を畳に付けて、すぐ受けの手を取るのではなく、肩から滑らすように、上に持っていって、取ります。
7.三教を効かせた形で、下腹から傾け、受けの頭の方へ受けの腕をゆっくり倒していきます。
これらの動きの2の時に、足は出ていきません。両足の位置そのままで、三教をきめていきます。
また、受けの手首をねじ切りすぎるのではなく、肘から垂直に降りた手をそのまま後ろに持っていき、あたかも受けの後ろにいる、もう一人の人にかけるようにします。受けの肩甲骨まで刺激され、血流が良くなります。
「合氣道は、最良の健康法。」
「合氣道は、型を型とおりに徹底的に行う、仕手と受けとの約束稽古。」
稽古は、愉快にやりましょう。これが、大先生の教えです。
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技考59(一日一考)。正面打ち三教の話12。
注)正面打ちは、仕手から行います。受けが打ってくるのを捌くのは、基本ではありません。仕手から打っていく、これが大先生の教えです。証左は、昭和13年発刊、植芝盛平大先生著、「武道」にあります。
「三教裏は、受けの後ろに行く。」
齋藤守弘先生の言葉です。
三教裏技は、
1.一教裏の形で、受けを腰から折り、おじぎさせた後、足を進め、肘上部(肘の真上ではない)を掴んでいた手を離して、受けの脇から差し込み、受けの手を三教に取ります。
2.両手で取り、上半身を上げて、受けを起こしつつ、三教をきめます。このときに、仕手の身体から、仕手の手は離れていかないように。
3.受けの肘の上に手を置かず、片手のみ、三教をきめた手を落としながら、手の甲を上にして、足と同時に受けの後ろに移動します。この動きが、受けの身体を再びおじぎさせ、不安定な状態にさせます。
4.受けの肘部を上から掴み、移動することで受けを倒してます。
5.膝を畳に付けたら、受けの肩を挟むことなく、片方の膝を受けの頭の方へもっていきます。
6.受けの肩を畳に付けて、すぐ受けの手を取るのではなく、肩から滑らすように、上に持っていって、取ります。
7.三教を効かせた形で、下腹から傾け、受けの頭の方へ受けの腕をゆっくり倒していきます。
これらの動きの3の時に、手と足は、受けの後ろに進んでいきます。また、次の4のときにも、進んだ足の方へ足を移動させ、身体も同時に移動します。そのことにより、さながら一教裏のように、まるい軌道を描いて、受けが落ちていきます。
受けの背後ではなく横、受けの腕が肩から突出すように、移動することは、まるい、一教裏の崩しにはなりません。
裏技は、裏技で行うことが大切です。
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技考60(一日一考)。正面打ち三教の話13。
注)正面打ちは、仕手から行います。受けが打ってくるのを捌くのは、基本ではありません。仕手から打っていく、これが大先生の教えです。証左は、昭和13年発刊、植芝盛平大先生著、「武道」にあります。
「三教の取り方は、2種類。どちらも、稽古しなければならない。」
「仕手の四指と受けの四指を十字にしてから、くるっと回して取る。握手にはならない。」
齋藤守弘先生の言葉です。
三教に取るまでの形は、受けの手首を回すものと回さないものがあります。稽古では一教の形を行った後、手首を回して取る、もう一つの形をやりました。
その際、くるっと回さない、取りが不十分であると、握手のようになり、三教の形になりません。
表技も裏技も稽古する必要があります。
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技考61(一日一考)。合氣剣、一の素振り話1。
「剣の残心は、地面と平行。臍で結んで、臍の高さ。体の変更と同じ。」
齋藤守弘先生の言葉です。
本当に、平行になってますか。
剣は反りがあります。刃の部分が地面と平行では、剣先は上がり、平行になっていません。
もうひとつ下ろして、剣先が地面と平行となるように。きれいな、ちゃんとした、口伝とおりの平行になります。その分、尺屈され、良い稽古になります。
「一分一厘狂ったら、技にはならん。」
大先生の言葉を受け止め、考え、
「いい加減な素振りを千回やるよりも、気の入った素振り数回の方が良い。」
齋藤先生の言葉を信じて、しっかり稽古しましょう。
もちろん、半身にこだわり、厳しいままで。
4/19
技考62(一日一考)。合氣剣、一の素振り話2。
「剣は背骨に付ける。左手は伸ばす。」
齋藤守弘先生の言葉です。
一の素振りは、武器技で行う初めの稽古です。体の変更も体術の初めに行うもの。一番大事だから、一番初めに行い、たくさん稽古します。
まっすぐ振りかぶり、まっすぐ振り下ろす。これが一の素振りです。
しかし、振りかぶりのとき、背中に付けようとして、左肘が曲がったりすることを、齋藤先生は戒めました。
右半身の剣構えの時、両手は伸びています。左手を伸ばしていけば、柄頭が出た分、剣先が自分の頭に向かってきます。頭に刺さっても、何の理得も無いので、右手を操作して、剣を上げていきます。
つまり、左手は伸びたまま。だから、きれいに背中について、口伝とおりになります。
振りかぶった後の打ち込みも、その名のとおり、(相手の面に)打つと言う行為なので、真下に落とし込む意識が強いと、臍より下になりやすいので、注意が必要です。
素振りは、勿論猫背にならず、半身を厳しく(腰深く)しないと、下腹に力が入らず、姿勢が伸びず、良い稽古にならず、以前書いた、「岩間の剣をやると、年取っても腰が曲がらないんだ」と言う、齋藤先生の教えになりません。
「一分一厘狂ったら、技にはならん。」
大先生の言葉を受け止め、考え、
「いい加減な素振りを千回やるよりも、気の入った素振り数回の方が良い。」
齋藤先生の言葉を信じて、一人でもしっかり稽古しましょう。
4/20
技考63(一日一考)。合氣剣、一の素振り話3。
「剣は背骨に付けて、鼻筋を通り、まっすぐ下ろし、臍で結ぶ。」
「鏡などを見て、半身を確かめて、丁寧に振るのも良い。」
齋藤守弘先生の言葉です。
一の素振りは、まっすぐ振りかぶり、まっすぐ振り下ろす。これが一の素振りです。
この、まっすぐに、とことんこだわるべきです。
自分の鼻筋と、剣の軌道が合えば、まっすぐ振り下ろせます。
さらに、窓枠や障子の桟を利用して、どこまでもまっすぐ振りかぶり、振り下ろす稽古をしましょう。
さて、岩間の茨城道場内に、大きめ鏡がありますが、鏡の近くで振ると、増築部分の低い天井に当たってしまうので、杖の八相返しなどは厳禁だったことを思い出します。今もそうですけど。
素振りは、勿論猫背にならず、半身を厳しく(腰深く)しないと、下腹に力が入らず、姿勢が伸びず、良い稽古にならず、以前書いた、「岩間の剣をやると、年取っても腰が曲がらないんだ」と言う、齋藤先生の教えになりません。
「一分一厘狂ったら、技にはならん。」
大先生の言葉を受け止め、考え、
「いい加減な素振りを千回やるよりも、気の入った素振り数回の方が良い。」
齋藤先生の言葉を信じて、一人でもしっかり稽古しましょう。
4/21
技考64(一日一考)。合氣剣、一の素振り話4。
「手と足は一緒に動く。」
齋藤守弘先生の言葉です。
一の素振りは、まっすぐ振りかぶり、まっすぐ振り下ろす。これが一の素振りです。
このとき右半身なら、右足を引くときに、剣が振り上がり、背中に付きます。
右足を出す時には、剣を打ち下ろし、斬ります。
さらに、
「別々同時に動かして、かつ同着。」
内田先生の言葉です。
これが、難しい。意識しないと、足が先に動作を終えて、剣が降りてくるのを待たないといけません。
待つと言う行為は、当たり前ですが、速さには邪魔な存在です。
また、意識しすぎて、カチコチな動きになっても、速さには繋がりません。
組太刀なら、速い方が、斬って勝ちます。
「別々同時に動かして、かつ同着。」
大事なので、もう一回。意識して、十全に身体の各部を細かく操作することが大事です。
そうして、大先生の言われる、
正勝、吾勝、勝速日(原典は古事記、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命←天照大神、建速須佐之男命の御子)の、光よりも速い技を身につけていくのが、合氣道です。
「一分一厘狂ったら、技にはならん。」
大先生の言葉を受け止め、考え、
「いい加減な素振りを千回やるよりも、気の入った素振り数回の方が良い。」
齋藤先生の言葉を信じて、一人でもしっかり稽古しましょう。
4/22
技考65(一日一考)。合氣剣、一の素振り話5。
「足は少し浮かせて動かす。ずっ、ずっと、地面を擦らない。」
齋藤守弘先生の言葉です。
武器技は、特別な稽古です。木曜日の岩間武道館以外は、朝稽古しか行いません。朝稽古は内弟子か、許された特別な者しか稽古参加ができません。朝稽古の場所は、合気神社境内や道場前の駐車場など、野外で行いました。
武器技、一の素振りは、足と手を別々同時に動かして、まっすぐ振りかぶり、まっすぐ振り下ろす。これが一の素振りです。
このとき、足を擦るようにすると、数回の素振りで、直線の溝ができます。
「土を掘ってるんじゃない。」
齋藤先生は、そう言って、戒めました。
だからといって、足の上げ過ぎは傾きを生み、正中を無くさせます。足は、体の変更と同じように、薄く浮かせて、移動させます。
「一分一厘狂ったら、技にはならん。」
大先生の言葉を受け止め、考え、
「いい加減な素振りを千回やるよりも、気の入った素振り数回の方が良い。」
齋藤先生の言葉を信じて、一人でもしっかり丁寧に稽古しましょう。
4/23
技考66(一日一考)。合氣剣、一の素振り話6。
「剣の握りは、柄を余らせない。」
「俺は、小指半分、柄頭から出して、握っている。」
齋藤守弘先生の言葉です。
武器技、一の素振りは、足と手を別々同時に動かして、まっすぐ振りかぶり、まっすぐ振り下ろす。これが一の素振りです。
この中で、剣の握りは重要です。以前にも書きましたが、両手の生命線を剣の峰に当てます。そして、小指、薬指と親指の付け根で握り、中指、人差し指の力を抜いて、剣に軽くかけます。
生命線の当てた形をずらさずに、振りかぶり、振り下ろして、臍の高さで、両手を締めて止めます。不必要な、過十分な力は、速さや正確さを阻害します。
剣の握りは、柄頭が見えないように。柄を余らせて握ってはいけません。柄頭の端が小指にかかるか、齋藤先生のように、小指半分余らせて、握るように。
柄を余らせて、剣を振ると、尺屈がうまくいかずに、剣の操作が悪くなります。
また、
「人差し指は、離れない。中指に付いたまま。」
これも、戒められました。
力は入れなくても、人差し指が前に行かないように。制御して、心身を統一するのが剣であり、術であり、勝手は許されません。
「一分一厘狂ったら、技にはならん。」
大先生の言葉を受け止め、考え、
「いい加減な素振りを千回やるよりも、気の入った素振り数回の方が良い。」
齋藤先生の言葉を信じて、一人でもしっかり丁寧に稽古しましょう。
4/24
技考67(一日一考)。合氣剣、一の素振り話7。
「左半身での素振りは、右肩を前に出さないように。半身にこだわれ。」
齋藤守弘先生の言葉です。
武器技、一の素振りは、足と手を別々同時に動かして、まっすぐ振りかぶり、まっすぐ振り下ろす。これが一の素振りです。
これを右半身でも、左半身でも行います。
右半身なら、右手が前、右足も前なので、半身は取りやすいのですが、左半身は、右手が前でも、足は左半身なので、半身が取りにくいです。
左半身と言う名ばかりの、腰が相手と真正面に向かい合った状態で、臍を剣で結んでいたら、相手に対して隙のない一直線上の半身にはなっていません。半身に、こだわってません。
そのためには、足の位置は変えず、引かず、右股関節を左方向に屈曲すること。屈曲すれば、腰は前に行こうと回らず、より半身になろうとします。
そして、
「左腕は、脇に付いてよい。」
齋藤先生の教えです。
右半身なら、左手が前に行っても、右半身はできますが、左半身は、左手が前に行けば、右手が前に行き、連動して右肩も出て行きます。
「一分一厘狂ったら、技にはならん。」
大先生の言葉を受け止め、考え、
「いい加減な素振りを千回やるよりも、気の入った素振り数回の方が良い。」
齋藤先生の言葉を信じて、一人でもしっかり丁寧に稽古しましょう。4
4/25
技考68(一日一考)。合氣剣、一の素振り話8。
「前を斬り、後を斬る。そして、前を斬り、後を斬る。これを繰り返す。」
かつ、
「半身にこだわって、剣は背骨に付けて、斬れ。」
齋藤守弘先生の言葉です。
まっすぐ斬った、一の素振りを、爪先の向きを変えて、振りかぶり、後方にまっすぐ斬ります。
これが、前後斬りです。
斜めの切り口になっては、いけません。
そして、前、後、前、後と斬りますが、大事なことは、腰が回らないこと。腰が回ると、一直線上の、薄い半身が不完全になります。股関節から下、脚のみを動かします。
つまり、体の面は同一方向のまま、相手を左右の肩の前に置いたまま、一切揺るぎ、回りません。腰は動きません。お尻もぶれません。
首は関節の作り上、体と別に動きます。前後に振り向き、見るのは、簡単です。
半身にこだわって、剣の動きを阻害せずに振るためには、股関節を屈曲、および脊柱を回旋して、腰と上半身の回転を抑え、かつ腕が伸びていくようになります。
以前に書いた、体の変更に、完全に合致します。
「剣の理に基づく技が合氣道である。」
大先生の言葉を受け止め、考え、
「いい加減な素振りを千回やるよりも、気の入った素振り数回の方が良い。」
齋藤先生の言葉を信じて、一人でも、楽しくしっかり丁寧に稽古しましょう。
4/26
技考69(一日一考)。合氣剣、一の素振り話9。
「前を斬り、後を斬る。そして、右を斬り、左を斬る。これが、四方斬り。さらに角度を変えて、四方斬りする。これが、八方斬り。」
かつ、
「半身にこだわって、足を動かす。剣は背骨に付けて、斬れ。」
齋藤守弘先生の言葉です。
まっすぐ斬り終わった、一の素振りを、爪先の向きを変えて、振りかぶり、後方にまっすぐ斬ります。
そして、左足を左に90度進めて、足を置いた時には、振り返って、右を斬ります。次に、前後斬りの要領で後である、左を斬ります。
これが、四方斬りです。
八方斬りは、四方に切り終えた後、左足を45度進めて、後方を斬り、ここから四方斬りをします。
大事なこと二つ。まっすぐに振り下ろすこと。足の動きと連動せずに独立して。斜めの切り口になっては、いけません。
次に、前後斬りと同じですが、腰が回り、腰や肩が出ないこと。股関節から下、脚の部分のみを使って、身体を進め、開いて、一直線上の、薄い半身のままで行うこと。
半身にこだわって技を行えば、
「合氣道の基本技は、3000種。それを16方向に、投げ分ける。」
昭和36年発刊の合気道技法にある、大先生のインタビューを受け止め、考え、
「いい加減な素振りを千回やるよりも、気の入った素振り数回の方が良い。」
齋藤先生の言葉を信じて、一人でも、楽しくしっかり丁寧に稽古しましょう。
4/27
技考70(一日一考)。合氣剣、一の素振り話10。
「大先生は、28の剣と仰って、一角度(90度)7本ずつ振り、4回やって、一周した。」
「これは、剣を振ることで、(道場)全部を祓い、清める、大先生の型。」
齋藤守弘先生の言葉です。
平成13年、14年鏡開き演武の初めに、齋藤先生は真剣で一の素振りを、少しずつ右回りに一周して、道場を清めました。
合氣道は禊祓いの技とよく言われます。剣は禊祓いにも、武術・武道的にも絶対に必要で、剣は殺人目的であり不必要と唱えるのは、大先生の合氣道を極大にねじ曲げているにすぎません。
もちろん、太刀取りで十分と言う考えも、同列です。
気を練って神通を願い、幸福になると誓い、賜わるのに、剣はなくてはなりません。剣自体を、御祭神にしている神社もあり、神習う、惟神(かんながら)の武道である合氣道として、修めていかなければなりません。
「いい加減な素振りを千回やるよりも、気の入った素振り数回の方が良い。」
齋藤先生の言葉を信じて、一人でも、楽しくしっかり丁寧に稽古しましょう。
そして、一刻も災いが晴れるよう祈り、剣を持ちましょう。
4/28
技考71(一日一考)。合氣剣、ニの素振り話1。
「相手が剣でも杖でも持って、突然パッと突いてくる。この突きをパッと、一重身で避ける。」
齋藤守弘先生の言葉です。
ニの素振りは、右足を引き、大上段に構えて、次いで右足を出しながら打ち込む技です。
突きは、素早く、小さな点で繰り出してきます。型は、必要最低限に避けて、すぐに攻撃に転じなければなりません。
相手の二撃目を与える隙は、要りません。
ですので、円く下がることは、腰が回ることになり、振りかぶる剣もまっすぐ上がりません。
隙無い半身から、直線に足を引き、半身を最速で切り替える。そして、まっすぐ打ち込む。
「円運動より、直線運動が確実に速い。」
「いい加減な素振りを千回やるよりも、気の入った素振り数回の方が良い。」
齋藤先生の言葉を信じて、一人でも、楽しくしっかり丁寧に稽古しましょう。
そして、一刻も災いが晴れるよう祈り、剣を持ちましょう。
4/29
技考72(一日一考)。合氣剣、ニの素振り話2。
「手の下から、相手を見るように。一の素振りの振りかぶりの動きで、大上段に構える。」
齋藤守弘先生の言葉です。
ニの素振りは、右足を引き、大上段に構えて、次いで右足を出しながら打ち込む技です。
大上段に構えたときに、左肘を下げてはいけません。下げた手の上から、相手を見ることになり、教えに反します。
そして、まっすぐ振り下ろします。
「いい加減な素振りを千回やるよりも、気の入った素振り数回の方が良い。」
齋藤先生の言葉を信じて、一人でも、楽しくしっかり丁寧に稽古しましょう。
そして、一刻も災いが晴れるよう祈り、剣を持ちましょう。
今日は、合気神社大祭の日。大祭は行われませんが、振りかぶりの姿勢をじっくり取って、気を練り上げてみませんか。
4/30
技考73(一日一考)。合氣剣、三の素振り話1。
「右足を引きながら、両手腕を伸ばし、剣をまっすぐに立てる。」
「宇宙の気を、剣先から取り込む。大先生の教え。」
齋藤守弘先生の言葉です。
三の素振りは、右足を引き、剣をまっすぐ立てた後、腰を落として脇構えとなり、次いで右足を出しながら一気に打ち出す技です。
まっすぐ、一切のぶれなく、まっすぐ立てるように。
レーダーは高ければ高いほど、性能が上がります。
剣をまっすぐに立てた時は、二の素振りのように、伸ばした手の下から、相手を見るようにします。
そして、宇宙の気と言われても、私は正直、感じることはできません。しかし、齋藤先生は教えるたびに、「宇宙の気」のくだりを仰っていました。
自分がわからないから要らないものと判断するのではなく、そのまま行い、そのまま教えることが大切です。
「ありがたいお経のようなものを読んだり聴いたりして、これを武道になおしていく。」
合気道新聞、合気神髄ある大先生の教えです。すぐになおせるものではないから、すぐに修得できないからこそ、面白い。すぐにできるものは、すぐにあきて、面白くない。ありがたいものは、素直にありがたくいただくことが肝要です。
「いい加減な素振りを千回やるよりも、気の入った素振り数回の方が良い。」
齋藤先生の言葉を信じて、一人でも、楽しくしっかり丁寧に稽古しましょう。
そして、一刻も災いが晴れるよう祈り、剣を持ちましょう。
5/1
技考74(一日一考)。合氣剣、三の素振り話2。
「腰を深く落としながら、まっすぐ上げた剣を下ろす。剣は身体から離れず、右腕は伸びたまま、左腕は腹に付ける。のけ反らないように。」
「宇宙の気を、剣先から取り込む。大先生の教え。」
齋藤守弘先生の言葉です。
三の素振りは、右足を引き、剣をまっすぐに立てた後、腰を落として脇構えとなり、次いで右足を出しながら一気に打ち出す技です。
脇構えになる時は、背筋伸ばしたまま、両股関節を深く屈曲します。下ろした剣に引っ張られるような、右股関節の方だけ深くなると、50対50の足の置き方ができなくなり、正中が消えてしまいます。
足は軽く、足裏も踏ん張らず。蹴らないで、すぐに打ち出せるように。
「神の心を人の肉体に建設する。」
武道練習にある、大先生の言葉です。素直な、まことの心は、邪ではありません。ひん曲がったりしてません。体も私心なき、まっさらな心を表す形にしないといけません。誠をさらに誠に練り上げる、これも武道練習に載っている道歌のように、心身を鍛えねばなりません。
「いい加減な素振りを千回やるよりも、気の入った素振り数回の方が良い。」
齋藤先生の言葉を信じて、一人でも、楽しくしっかり丁寧に稽古しましょう。
そして、一刻も早く、災いが吹き晴れるよう祈り、剣を持ちましょう。
5/2
技考75(一日一考)。合氣剣、三の素振り話3。
「腰を深く落としながら、まっすぐ上げた剣を下ろす。剣は身体から離れず、右腕は伸びたまま、左腕は腹に付ける。剣は斜め下になる。」
「宇宙の気を、剣先から取り込む。大先生の教え。」
齋藤守弘先生の言葉です。
三の素振りは、右足を引き、剣をまっすぐに立てた後、腰を落として脇構えとなり、次いで右足を出しながら一気に打ち出す技です。
脇構えになる時は、背筋伸ばしたまま、両股関節を深く屈曲します。剣はそのまま下ろして、剣先は斜め下になります。
これは、生命線に沿って握った形をずらさなければ、素直にこの形になります。
刃が上になるのは、握り変えています。剣が平行になるのは、右手が掌屈してしまいます。
斜め下になるのが自然です。
「取り込んだ宇宙の気を、剣を下ろしながら、臍下丹田におさめる。」
脇構えは、腹が膨れます。その腹に腕を合わせます。
「神の心を人の肉体に建設する。」
武道練習にある、大先生の言葉です。素直な、まことの心は、邪ではありません。ひん曲がったりしてません。体も私心なき、まっさらな心を表す形にしないといけません。誠をさらに誠に練り上げる、これも武道練習に載っている道歌のように、心身を鍛えねばなりません。
「いい加減な素振りを千回やるよりも、気の入った素振り数回の方が良い。」
齋藤先生の言葉を信じて、一人でも、楽しくしっかり丁寧に稽古しましょう。
そして、一刻も早く、災いが吹き晴れるよう祈り、剣を持ちましょう。
5/3
技考76(一日一考)。合氣剣、三の素振り話4。
「腰を深く落としながら、まっすぐ上げた剣を下ろす。剣は身体から離れず、右腕は伸びたまま、左腕は腹に付ける。刀身は正面の相手に向かって、隠す。左から、切っ先が見えないように。」
「宇宙の気を、剣先から取り込む。大先生の教え。」
齋藤守弘先生の言葉です。
三の素振りは、右足を引き、剣をまっすぐに立てた後、腰を落として脇構えとなり、次いで右足を出しながら一気に打ち出す技です。
脇構えになる時は、背筋伸ばしたまま、両股関節を深く屈曲します。剣はそのまま下ろして、剣先は斜め下になります。
これは、生命線に沿って握った形をずらさなければ、素直にこの形になります。
「取り込んだ宇宙の気を、剣を下ろしながら、臍下丹田におさめる。」
脇構えは、腹が膨れます。その腹に腕を合わせます。相手から、剣の握りは見えても、その先の刀身は身体に隠れて、全く見えません。
三の素振りは、足を引きますが、気結びの太刀なら、互いに一歩踏み出して詰めます。刀身が見えず、間合いが不明になり、打ち込む気、タイミングも不明にさせた上で、打ち太刀はまっすぐ切り込んでいきます。
受け太刀は、気を察して右に転じつつ、切り下ろし、結びます。
「神の心を人の肉体に建設する。」
武道練習にある、大先生の言葉です。素直な、まことの心は、邪ではありません。ひん曲がったりしてません。体も私心なき、まっさらな心を表す形にしないといけません。誠をさらに誠に練り上げる、これも武道練習に載っている道歌のように、心身を鍛えねばなりません。
「いい加減な素振りを千回やるよりも、気の入った素振り数回の方が良い。」
齋藤先生の言葉を信じて、一人でも、楽しくしっかり丁寧に稽古しましょう。
そして、一刻も早く、災いが吹き晴れるよう祈り、剣を持ちましょう。
5/4
技考77(一日一考)。合氣剣、三の素振り話5。
「腰を深く落とした脇構えの形から、気合出しながら、一気に打ち込む。柄頭がピューッと相手に向かって飛んでいくように。」
「宇宙の気を、剣先から取り込む。大先生の教え。」
齋藤守弘先生の言葉です。
三の素振りは、右足を引き、剣をまっすぐに立てた後、腰を落として脇構えとなり、次いで右足を出しながら一気に打ち出す技です。
脇構えになる時は、背筋伸ばしたまま、両股関節を深く屈曲します。剣はそのまま下ろして、剣先は斜め下になります。
これは、生命線に沿って握った形をずらさなければ、素直にこの形になります。
「取り込んだ宇宙の気を、剣を下ろしながら、臍下丹田におさめる。」
おさめた気を剣にのせて、気合入れて、打ち込みます。柄頭が相手の眉間に打っていくように。これは、一の素振りでも同じです。必ず、背骨に剣をつけて、自分の頭頂を通って、まっすぐ切り込みます。
「神の心を人の肉体に建設する。」
武道練習にある、大先生の言葉です。素直な、まことの心は、邪ではありません。ひん曲がったりしてません。体も私心なき、まっさらな心を表す形にしないといけません。誠をさらに誠に練り上げる、これも武道練習に載っている道歌のように、心身を鍛えねばなりません。
「いい加減な素振りを千回やるよりも、気の入った素振り数回の方が良い。」
齋藤先生の言葉を信じて、一人でも、楽しくしっかり丁寧に稽古しましょう。
そして、一刻も早く、災いが吹き晴れるよう祈り、剣を持ちましょう。
5/5
技考78(一日一考)。合氣剣、三の素振り話6。
「腰を深く落とした脇構えの形から、気合出しながら、一気に打ち込む。柄頭がピューッと相手に向かって飛んでいくように。このとき、刃は上がっていかない。」
「宇宙の気を、剣先から取り込む。大先生の教え。」
齋藤守弘先生の言葉です。
三の素振りは、右足を引き、剣をまっすぐに立てた後、腰を落として脇構えとなり、次いで右足を出しながら一気に打ち出す技です。
脇構えになる時は、背筋伸ばしたまま、両股関節を深く屈曲します。剣はそのまま下ろして、剣先は斜め下になります。
これは、生命線に沿って握った形をずらさなければ、素直にこの形になります。
「取り込んだ宇宙の気を、剣を下ろしながら、臍下丹田におさめる。」
おさめた気を剣にのせて、気合入れて、打ち込みます。柄頭が相手の眉間に打っていくように。これは、一の素振りでも同じです。必ず、背骨に剣をつけて、自分の頭頂を通って、まっすぐ切り込みます。
「剣先を持たれたまま、振りかぶる。刃は上がらない。」
齋藤先生は、こう仰って、脇構えでの剣先を、稽古相手に持たせて、刃が上がっていかないよう、指導しました。打ち込み時は、剣に引っ張られて、のけぞる形にならないように。
「神の心を人の肉体に建設する。」
武道練習にある、大先生の言葉です。素直な、まことの心は、邪ではありません。ひん曲がったりしてません。体も私心なき、まっさらな心を表す形にしないといけません。誠をさらに誠に練り上げる、これも武道練習に載っている道歌のように、心身を鍛えねばなりません。
「いい加減な素振りを千回やるよりも、気の入った素振り数回の方が良い。」
齋藤先生の言葉を信じて、一人でも、楽しくしっかり丁寧に稽古しましょう。
そして、一刻も早く、災いが吹き晴れるよう祈り、剣を持ちましょう。
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技考79(一日一考)。合氣剣、三の素振り話7。
「腰を深く落とした脇構えの形から、気合出しながら、一気に大きく打ち込む。柄頭がピューッと相手に向かって飛んでいくように。」
「大きく踏み込んだ後、一歩下がって、構えに戻る。呼吸を整えてから、再び三の素振りを行う。」
「宇宙の気を、剣先から取り込む。大先生の教え。」
齋藤守弘先生の言葉です。
三の素振りは、右足を引き、剣をまっすぐに立てた後、腰を落として脇構えとなり、次いで右足を出しながら一気に打ち出す技です。
脇構えになる時は、背筋伸ばしたまま、両股関節を深く屈曲します。剣はそのまま下ろして、剣先は斜め下になります。
これは、生命線に沿って握った形をずらさなければ、素直にこの形になります。
「取り込んだ宇宙の気を、剣を下ろしながら、臍下丹田におさめる。」
おさめた気を剣にのせて、気合入れて、打ち込みます。柄頭が相手の眉間に打っていくように。これは、一の素振りでも同じです。必ず、背骨に剣をつけて、自分の頭頂を通って、まっすぐ切り込みます。
まっすぐは、一直線です。二軸になってはいけません。一の素振り、二の素振りも同じです。
大きく出した足は、一歩下がって、戻ります。大人数で稽古すると、武器はより危険です。ですから、バラバラではなく、素振りは、元に戻ることが必要になります。
「神の心を人の肉体に建設する。」
武道練習にある、大先生の言葉です。素直な、まことの心は、邪ではありません。ひん曲がったりしてません。体も私心なき、まっさらな心を表す形にしないといけません。誠をさらに誠に練り上げる、これも武道練習に載っている道歌のように、心身を鍛えねばなりません。
「いい加減な素振りを千回やるよりも、気の入った素振り数回の方が良い。」
齋藤先生の言葉を信じて、一人でも、楽しくしっかり丁寧に稽古しましょう。
そして、一刻も早く、災いが吹き晴れるよう祈り、剣を持ちましょう。
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技考80(一日一考)。合氣剣、三の素振り話8。
「腰を深く落とした脇構えの形から、大きく気合出しながら、一気に大きく打ち込む。柄頭がピューッと相手に向かって飛んでいくように。」
「宇宙の気を、剣先から取り込む。大先生の教え。」
齋藤守弘先生の言葉です。
三の素振りは、右足を引き、剣をまっすぐに立てた後、腰を落として脇構えとなり、次いで右足を出しながら一気に打ち出す技です。
脇構えになる時は、背筋伸ばしたまま、両股関節を深く屈曲します。剣はそのまま下ろして、剣先は斜め下になります。
これは、生命線に沿って握った形をずらさなければ、素直にこの形になります。
「取り込んだ宇宙の気を、剣を下ろしながら、臍下丹田におさめる。」
おさめた気を剣にのせて、気合入れて、打ち込みます。柄頭が相手の眉間に打っていくように。これは、一の素振りでも同じです。必ず、背骨に剣をつけて、自分の頭頂を通って、まっすぐ、一直線上で、切り込みます。
一の素振りでも説明しますが、三の素振りでも、齋藤先生は、気合いを出すよう、指導されました。溜めこんだ気を一気に吐き出します。肚には、何も残ってないように。エイッ!ではなく、エイーッ!と、長い気合いでした。
「神の心を人の肉体に建設する。」
武道練習にある、大先生の言葉です。素直な、まことの心は、邪ではありません。ひん曲がったりしてません。体も私心なき、まっさらな心を表す形にしないといけません。誠をさらに誠に練り上げる、これも武道練習に載っている道歌のように、心身を鍛えねばなりません。
「いい加減な素振りを千回やるよりも、気の入った素振り数回の方が良い。」
齋藤先生の言葉を信じて、一人でも、楽しくしっかり丁寧に稽古しましょう。
そして、一刻も早く、災いが吹き晴れるよう祈り、剣を持ちましょう。
5/8
技考81(一日一考)。合氣剣、四の素振り話1。
「一の素振りを進めながら、右、左と繰り返す。4回やったら、後を斬って、再び繰り返す。」
齋藤守弘先生の言葉です。
四の素振りは、右足、左足を交互に進め、一直線上に打ち込んでいくものです。連続攻撃の稽古になりますが、速い切り替えで、打ち込むことは、丁寧な稽古になりません。手の動きと足の動きとが、別々同時、かつ同着にもなりません。
「歩く速度でよい。」
自然な構え、自然な打ち込み、そして自然な歩法で剣を扱うことが大事です。そして、一の素振りから来る、強いまっすぐな剣を、作っていくよう意識することです。
「いい加減な素振りを千回やるよりも、気の入った素振り数回の方が良い。」
齋藤先生の言葉を信じて、一人でも、楽しくしっかり丁寧に稽古しましょう。
そして、一刻も早く、災いが吹き晴れるよう祈り、剣を持ちましょう。
5/9
技考82(一日一考)。合氣剣、右の合わせ1。
「まっすぐは、強いんだ。なかなか、勝つことができない。だから、右に避けて、斬る。」
齋藤守弘先生の言葉です。
右の合わせは、打ち太刀が右足を出しながら、受け太刀を頭頂から、まっすぐ切り下ろすのを、受け太刀が右に避けて、打ち太刀の頭頂からまっすぐ切り下ろすものです。
双者、臍で結んで、一の素振りの残心になります。
「武器は危ないだ。だから、残心のあと、剣を横に振っても、武器同士が絶対に当たらない距離で、稽古する。」
距離を取る稽古は、気を探る稽古にもなります。そして、一の素振りをしっかりやる形が活きています。
「いい加減な素振りを千回やるよりも、気の入った素振り数回の方が良い。」
齋藤先生の言葉を信じて、一人でも、楽しくしっかり丁寧に稽古しましょう。
そして、一刻も早く、災いが吹き晴れるよう祈り、剣を持ちましょう。
5/10
技考83(一日一考)。合氣剣、右の合わせ2。
「まっすぐは、強いんだ。なかなか、勝つことができない。だから、右に避けて、斬る。」
「しっかり相手を斬る。爪先も相手に、まっすぐ向けるように。」
齋藤守弘先生の言葉です。
右の合わせは、打ち太刀が右足を出しながら、受け太刀を頭頂から、まっすぐ切り下ろすのを、受け太刀が右に避けて、打ち太刀の頭頂からまっすぐ切り下ろすものです。
双者、臍で結んで、一の素振りの残心になります。
「武器は危ないだ。だから、残心のあと、剣を横に振っても、武器同士が絶対に当たらない距離で、稽古する。」
距離を取る稽古は、気を探る稽古にもなります。そして、一の素振りをしっかりやる形が活きています。
横面では、ありません。正面に斬ります。剣はまっすぐ、爪先まで、しっかり相手に向かった、薄い、一直線上の半身を作り上げることを教えてくれました。
「いい加減な素振りを千回やるよりも、気の入った素振り数回の方が良い。」
齋藤先生の言葉を信じて、一人でも、楽しくしっかり丁寧に稽古しましょう。
そして、一刻も早く、災いが吹き晴れるよう祈り、剣を持ちましょう。
5/11
技考84(一日一考)。合氣剣、右の合わせ3。
「まっすぐは、強いんだ。なかなか、勝つことができない。だから、右に避けて、斬る。」
「まず、1、2と動作を区切って行う。打ち太刀が斬って、必ず残心2秒取った後、受け太刀が1、2と右に転じて、斬る。」
齋藤守弘先生の言葉です。
右の合わせは、打ち太刀が右足を出しながら、受け太刀を頭頂から、まっすぐ切り下ろすのを、受け太刀が右に避けて、打ち太刀の頭頂からまっすぐ切り下ろすものです。
双者、臍で結んで、一の素振りの残心になります。
合氣道の本懐は型稽古です。深く深く型に取り組み、型から離れず、型の素晴らしさ、難しさを守り伝えていくことが、修行者の道です。ですから、少しのブレも許さず、動作を細かく細かく注意する必要があります。
打ち太刀も、受け太刀も手足を別々に動かしながら、振りかぶりで1、振り下ろしで2とします。
しかし、1、2と分けるのは勿論、稽古の通過点であって、止まっていれば斬られるのですから、一つの動きになります。そして、打ち太刀、受け太刀の一つの合わせになります。
「いい加減な素振りを千回やるよりも、気の入った素振り数回の方が良い。」
齋藤先生の言葉を信じて、一人でも、楽しくしっかり丁寧に稽古しましょう。
そして、一刻も早く、災いが吹き晴れるよう祈り、剣を持ちましょう。
5/12
技考85(一日一考)。合氣剣、右の合わせ4。
「まっすぐは、強いんだ。なかなか、勝つことができない。だから、右に避けて、斬る。」
「まず、1、2と動作を区切って行う。次に、動きに合わせる。遅くてもダメ。速く手もダメ。」
齋藤守弘先生の言葉です。
右の合わせは、打ち太刀が右足を出しながら、受け太刀を頭頂から、まっすぐ切り下ろすのを、受け太刀が右に避けて、打ち太刀の頭頂からまっすぐ切り下ろすものです。
両者、臍で結んで、一の素振りの残心になります。
合氣道は合わせです。合わせがなければ、合氣道ではありません。剣の振りかぶりも、振り下ろしも打ち太刀の動きに合わせなくてはなりません。
齋藤先生は、打ち太刀と受け太刀の剣先を持って、
1.打ち太刀の剣が上がった後に、受け太刀の剣があがること。
2.打ち太刀の剣が打ち下ろした後に、受け太刀の剣が打ち下ろすこと。
3.打ち太刀の剣より先に、受け太刀の剣があがること。
4.打ち太刀の剣より先に、受け太刀の剣が下りること。
バラバラの状態を示して、ダメな形を示してくれました。
また、次に、両者の剣を同時に上げ、同時に下ろして、
「これを、やるんだ」
と、指導してくれました。
「いい加減な素振りを千回やるよりも、気の入った素振り数回の方が良い。」
齋藤先生の言葉を信じて、一人でも、楽しくしっかり丁寧に稽古しましょう。
そして、一刻も早く、災いが吹き晴れるよう祈り、剣を持ちましょう。
5/13
技考86(一日一考)。合氣剣、右の合わせ5。
「まっすぐは、強いんだ。なかなか、勝つことができない。だから、右に避けて、斬る。」
「打ち太刀の剣を、誘うんだ。」
齋藤守弘先生の言葉です。
右の合わせは、打ち太刀が右足を出しながら、受け太刀を頭頂から、まっすぐ切り下ろすのを、受け太刀が右に避けて、打ち太刀の頭頂からまっすぐ切り下ろすものです。
両者、臍で結んで、一の素振りの残心になります。
昭和13年発刊、大先生著の武道、第4.徒手対刀、正面には、仕手、気勢をもって、敵の攻撃を導く、受け、敵の正面を斬る、と書いてあります。
受けの動きに合わせますが、まず受けの動きを導くように、体をさばかないといけません。
つまりは、動かないこと。
切り上げの剣は合わせますが、右足が転じてしまうと、行き先がばれます。弓なら矢を放つまでは、どこでも狙い放題で、逆に矢を放てば、方向修整はできません。狙わせて、打たせることが、誘うことです。
「合氣道は、引力の練磨である。」
大先生の言葉です。
そして、剣なき合氣道は、合氣道ではない(NO SWORD NO AIKIDO)ので、
「いい加減な素振りを千回やるよりも、気の入った素振り数回の方が良い。」
齋藤先生の言葉を信じて、一人でも、楽しくしっかり丁寧に稽古しましょう。
そして、一刻も早く、災いが吹き晴れるよう祈り、剣を持ちましょう。5/14
技考87(一日一考)。合氣剣、右の合わせ6。
「まっすぐは、強いんだ。なかなか、勝つことができない。だから、右に避けて、斬る。」
「打ち太刀の剣を、誘うんだ。」
「打ち太刀の剣は、右に避けた受け太刀を追わない。」
齋藤守弘先生の言葉です。
右の合わせは、打ち太刀が右足を出しながら、受け太刀を頭頂から、まっすぐ切り下ろすのを、受け太刀が右に避けて、打ち太刀の頭頂からまっすぐ切り下ろすものです。
両者、臍で結んで、一の素振りの残心になります。
昭和13年発刊、大先生著の武道、第4.徒手対刀、正面には、仕手、気勢をもって、敵の攻撃を導く、受け、敵の正面を斬る、と書いてあります。
受けの動きに合わせますが、まず受けの動きを導くように、体をさばかないといけません。
つまりは、動かないこと。
切り上げの剣は合わせますが、右足が転じてしまうと、行き先がばれます。弓なら矢を放つまでは、どこでも狙い放題で、逆に矢を放てば、方向修整はできません。狙わせて、打たせることが、誘うことです。
そして、
「斬った感覚を持たせる。」
打ち太刀がまっすぐに斬り、勝った!という感覚を持たせることが、さらに必要です。
だから、打ち太刀の剣は、受け太刀を追尾できません。
そのためには、武道、第2.準備動作、半身入身合気の姿勢にて敵に対す、敵に正対するは隙多きをもって不利とす、という薄い薄い、一直線上の半身で立たなくてはなりません。
半身だからこそ、最小限に、速く動ける。
速く動けるからこそ、打ち太刀の剣を、動かないで、待っていられる。
半身の形のままの移動だからこそ、移動の認識が遅れて、打ち太刀はまっすぐ振り下ろしてしまう。
半身にこだわることが、師の教えです。
「合氣道は、引力の練磨である。」
大先生の言葉です。
そして、剣なき合氣道は、合氣道ではない(NO SWORD NO AIKIDO)ので、
「いい加減な素振りを千回やるよりも、気の入った素振り数回の方が良い。」
齋藤先生の言葉を信じて、一人でも、楽しくしっかり丁寧に稽古しましょう。
そして、一刻も早く、災いが吹き晴れるよう祈り、剣を持ちましょう。
5/15
技考88(一日一考)。合氣剣、右の合わせ7。
「まっすぐは、強いんだ。なかなか、勝つことができない。だから、右に避けて、斬る。」
「でも、全く動かなくても、勝てる。」
齋藤守弘先生の言葉です。
右の合わせは、打ち太刀が右足を出しながら、受け太刀を頭頂から、まっすぐ切り下ろすのを、受け太刀が右に避けて、打ち太刀の頭頂からまっすぐ切り下ろすものです。
両者、臍で結んで、一の素振りの残心になります。
しかし、足を全く動かさないで、斬られず、打ち太刀を頭からまっすぐ斬る形も、見せてくれました。
その際、打ち太刀の剣を、どかすように斜めに斬ったりしません。ただ、まっすぐに振りかぶり、まっすぐに斬り、勝ちます。
「手品のように見えるかもしれないが、半身だからできる。」
ニヤッと、笑いながら、自信を持って説明してくれました。
おそらく、道場より説明を細かくする講習会でも、この形は見せてないと思います。信頼している、長くいる内弟子か、ほんの一握りの人しか伝授されていません。
半身にこだわることが、師の教えです。
そして、剣なき合氣道は、合氣道ではない(NO SWORD NO AIKIDO)ので、
「いい加減な素振りを千回やるよりも、気の入った素振り数回の方が良い。」
齋藤先生の言葉を信じて、一人でも、楽しくしっかり丁寧に稽古しましょう。
そして、一刻も早く、災いが吹き晴れるよう祈り、剣を持ちましょう。
5/16
技考89(一日一考)。合氣剣、左の合わせの話1。
「右の合わせをやったら、左の合わせを行う。」
「半身で、相対する。正対しないように。」
齋藤守弘先生の言葉です。
左の合わせは、打ち太刀が右足を出しながら、受け太刀を頭頂から、まっすぐ切り下ろすのを、受け太刀が左に転じて、打ち太刀の頭頂からまっすぐ切り下ろすものです。
両者、臍で結んで、一の素振りの残心になります。
右の合わせなら、右半身のままの移動ですが、左の合わせは、半身の切り替えがあります。
昭和13年発刊、武道には、体捌きを、転化、転換、変更と書いてあります。写真と照らし合わせて、大先生がどのように技を分解、構成していたかを知る、最良の手かがりになります。
便宜上、足の運び=体捌きを、左への転化(当然、右の合わせは、右の転化)とします。
打ち太刀の剣を避け、左へ転化して、打ち太刀に斬り勝っても、半身が甘ければ、相打ちになります。大先生は、以前書いたとおり、「肉を斬らせて、骨を断つと古人は言うが、真の武道家は、皮さえ惜しむ。」と仰っており、完全、絶対に安全な境地に立たなくてはなりません。
それが可能にさせるのが、半身です。武道、第2.準備動作、半身入身合気の姿勢にて敵に対す、敵に正対するは隙多きをもって不利とす、という、切り替えても、薄い薄い、一直線上の半身で立たなくてはなりません。
半身にこだわることが、師の教えです。
そして、剣なき合氣道は、合氣道ではない(NO SWORD NO AIKIDO)ので、
「いい加減な素振りを千回やるよりも、気の入った素振り数回の方が良い。」
齋藤先生の言葉を信じて、一人でも、楽しくしっかり丁寧に稽古しましょう。
そして、一刻も早く、災いが吹き晴れるよう祈り、剣を持ちましょう。
5/17
技考90(一日一考)。合氣剣、左の合わせの話2。
「右の合わせをやったら、左の合わせを行う。」
「半身で、相対する。正対しないように。」
齋藤守弘先生の言葉です。
左の合わせは、打ち太刀が右足を出しながら、受け太刀を頭頂から、まっすぐ切り下ろすのを、受け太刀が左に転じて、打ち太刀の頭頂からまっすぐ切り下ろすものです。
両者、臍で結んで、一の素振りの残心になります。
右の合わせなら、右半身のままの移動ですが、左の合わせは、半身の切り替えがあります。
昭和13年発刊、武道には、体捌きを、転化、転換、変更と書いてあります。写真と照らし合わせて、大先生がどのように技を分解、構成していたかを知る、最良の手かがりになります。
打ち太刀の剣を避けようとするあまり、打ち太刀に隙無いようにして、右足を左へ流すのは、一直線上に立つ半身ではありません。また、左足が着いて、切り替えする右足の動きに、左肩がつられて動揺するのは、打ち太刀に情報を与えることになり、ダメな動きです。
イヤイヤするのは、子供だけです。大人は、イヤイヤ禁止です。
半身にこだわることが、師の教えです。
そして、剣なき合氣道は、合氣道ではない(NO SWORD NO AIKIDO)ので、
「いい加減な素振りを千回やるよりも、気の入った素振り数回の方が良い。」
齋藤先生の言葉を信じて、一人でも、楽しくしっかり丁寧に稽古しましょう。
そして、一刻も早く、災いが吹き晴れるよう祈り、剣を持ちましょう。
5/18
技考91(一日一考)。四教の話1。
「手首のすぐ上、やや外側部分を人差し指付け根で、圧迫する。」
「四教の握り、抑えは、剣と同じ。極める所をずらしたりしない。」
齋藤守弘先生の言葉です。
四教は、握ることによって、人差し指の付け根の骨を、受けの骨を強く圧迫するものです。
よく効く人もいますが、効かない人もいます。受けに効かせようとして、抑えたポイントをずらしたり、また一度離して、握り直してはいけません。
受けに隙を与えてしまいます。
昭和13年発刊、武道には、人差し指付け根をもって、脈部あるいは脈部やや外側を、強く骨の方向に圧迫す、と書いてあります。
「一度、きめたところを、ずっと押すんだ。握ることの鍛錬になる。」
「息をゆっくり吐きながら、握っていく。」
齋藤先生の教えです。
たとえ、手首からずっと上の方で握って、肉が邪魔して、骨まで圧迫できなくても、しっかりきめたつもりでも、受けが効かないからと言って、すぐに諦めたりしないで、技を行わなくてはなりません。
合氣道は、型稽古なのですから。
5/19
技考92(一日一考)。四教の話2。
「手首のすぐ上、やや外側部分を人差し指付け根で、圧迫する。」
「四教の握り、抑えは、剣と同じ。極める所をずらしたりしない。」
「手は、畳に付かない。」
齋藤守弘先生の言葉です。
四教は、握ることによって、人差し指の付け根の骨を、受けの骨を強く圧迫するものです。
よく効く人もいますが、効かない人もいます。受けに効かせようとして、抑えたポイントをずらしたり、また一度離して、握り直してはいけません。
受けに隙を与えてしまいます。
昭和13年発刊、武道には、人差し指付け根をもって、脈部あるいは脈部やや外側を、強く骨の方向に圧迫す、と書いてあります。
「一度、きめたところを、ずっと押すんだ。握ることの鍛錬になる。」
「息をゆっくり吐きながら、握っていく。」
齋藤先生の教えです。
たとえ、手首からずっと上の方で握って、肉が邪魔して、骨まで圧迫できなくても、しっかりきめたつもりでも、受けが効かないからと言って、すぐに諦めたりしないで、技を行いおえなくてはなりません。
しかし、抑えることに夢中になって、四教をきめている手が下に行き、畳に付くのは、きまりも悪くなりますし、受けに逆転の機会を与えることになります。
受けの肩は、畳に付いてますが、そこから斜め上に手は上がっています。
臍で結んでいる剣の形を、忘れないで。座り技でも、同様です。
合氣道は日本武道、剣から来る型稽古なのです。
5/20
技考93(一日一考)。四教の話3。
「手首のすぐ上、やや外側部分を人差し指付け根で、圧迫する。」
「四教の握り、抑えは、剣と同じ。極める所をずらしたりしない。」
「裏は、三教のように、ひねりあげてから、四教を効かす。」
齋藤守弘先生の言葉です。
四教は、握ることによって、人差し指の付け根の骨で、受けの骨を強く圧迫するものです。
よく効く人もいますが、効かない人もいます。受けに効かせようとして、抑えたポイントをずらしたり、また一度離して、握り直してはいけません。
受けに隙を与えてしまいます。
昭和13年発刊、武道には、人差し指付け根をもって、脈部あるいは脈部やや外側を、強く骨の方向に圧迫す、と書いてあります。
「一度、きめたところを、ずっと押すんだ。」
齋藤先生の教えです。
技は再分類していきますが、ポイントはずれません。四教として、刺激するところは同じで、刺激したまま、表技、裏技に体捌きしていきます。
臍で結んでいる剣の形を、忘れないで。座り技でも、同様です。
合氣道は日本武道、剣から来る型稽古なのです。
5/21
技考94(一日一考)。四教の話4。
「手首のすぐ上、やや外側部分を人差し指付け根で、圧迫する。」
「四教の握り、抑えは、剣と同じ。極める所をずらしたりしない。」
「抑えで、膝を受けの腕に載せない。」
齋藤守弘先生の言葉です。
四教は、握ることによって、人差し指の付け根の骨で、受けの骨を強く圧迫するものです。
よく効く人もいますが、効かない人もいます。受けに効かせようとして、抑えたポイントをずらしたり、また一度離して、握り直してはいけません。
受けに隙を与えてしまいます。
昭和13年発刊、武道には、人差し指付け根をもって、脈部あるいは脈部やや外側を、強く骨の方向に圧迫す、と書いてあります。
「大先生は、昔、四教の抑えの時に、膝を受けの腕に載せていたが、やらなくなった。大先生がやらなくなったのだから、道場でもやらない。」
齋藤先生の言葉です。
岩間の道場は、大先生の道場であり、大先生の教えとおり行うのが、当然の帰結です。ですから、剣も杖もやります。剣理が活きているのが、合氣剣であり、合氣道。剣体一致の自然体を目指すのが修行です。
臍で結んでいる剣の形を、忘れないで。座り技でも、同様です。
合氣道は日本武道、剣から来る型稽古なのです。
5/22
技考95(一日一考)。四教の話5。
「手首のすぐ上、やや外側部分を人差し指付け根で、圧迫する。」
「四教の握り、抑えは、剣と同じ。極める所をずらしたりしない。」
「二教と四教を同時にきめる。」
齋藤守弘先生の言葉です。
四教は、握ることによって、人差し指の付け根の骨で、受けの骨を強く圧迫するものです。
よく効く人もいますが、効かない人もいます。受けに効かせようとして、抑えたポイントをずらしたり、また一度離して、握り直してはいけません。
受けに隙を与えてしまいます。
昭和13年発刊、武道には、人差し指付け根をもって、脈部あるいは脈部やや外側を、強く骨の方向に圧迫す、と書いてあります。
片手取りなどの技は、受けの手が、掌屈します。受けの手が邪魔して、四教のポイントが上になったりしますが、掌屈した手を戻す理由はありません。手を離したら、隙ができます。
「二教もかけて、四教もかける。そして、同時にかける。」
齋藤先生の言葉です。
関節のカスを取り、血流を良くして、受けが健康になってもらうことも、技の効果です。
臍で結んでいる剣の形を、忘れないで。座り技でも、同様です。
合氣道は日本武道、剣から来る型稽古なのです。 5/23
5/23
技考96(一日一考)。五教の話1。
「五教は、五教の取り方で行う。」
齋藤守弘先生の言葉です。
短刀取りで、よく稽古する技ですが、武器取りだけでなく、横面打ち、正面打ちの五教があります。
横面打ち一教から二教と進めていって、道場の一時間稽古で五教、続いての六教まで行くことがあります。
合気会の一級、初段審査にも座り技横面打ち五教があります。
幻では、ありません。普通にあるものです。普通にあるものを、幻とは言いません。
五教は、掴み方が一教と、違います。親指を外側へ、回外して、四指が下のまま掴みます。そこからの崩しは一教と同じです。
一教は剣の握りですか、五教は杖の払いなどで使います。剣術、杖術、体術をそれぞれ学び、全てが一致であると知るのが、合氣道です。
5/24
技考97(一日一考)。五教の話2。
「五教は、五教の取り方で行う。」
「肘を上げ、手首を押し付ける。押し付けの方向は、小指側でなく、親指側で。」
齋藤守弘先生の言葉です。
短刀取りで、よく稽古する技ですが、武器取りだけでなく、横面打ち、正面打ちの五教があります。
横面打ち一教から二教と進めていって、道場の一時間稽古で五教、続いての六教まで行くことがあります。
合気会の一級、初段審査にも座り技横面打ち五教があります。
幻では、ありません。普通にあるものです。普通にあるものを、幻とは言いません。
五教は、掴み方が一教と、違います。親指を外側へ、回外して、四指が下のまま掴みます。そこからの崩しは一教と同じです。
一教は剣の握りですか、五教は杖の払いなどで使います。剣術、杖術、体術をそれぞれ学び、全てが一致であると知るのが、合氣道です。
そして、手首をきめるときもあります。抑えている手首を畳に触らせたまま、受けの脇に移動させます。結果、受けの肘は上がります。肘を押し、受けの手首をきめますが、小指側は稼動域が広いので、ききづらいので、親指側の方へきめます。
5/25
技考98(一日一考)。五教の話3。
「五教は、五教の取り方で行う。」
「肘を上げ、手首を押し付ける。押し付けの方向は、小指側でなく、親指側で。」
「強く押すと、受けの手が開く。そこで、短刀の柄を蹴る。」
齋藤守弘先生の言葉です。
短刀取りで、よく稽古する技ですが、武器取りだけでなく、横面打ち、正面打ちの五教があります。
横面打ち一教から二教と進めていって、道場の一時間稽古で五教、続いての六教まで行くことがあります。
合気会の一級、初段審査にも座り技横面打ち五教があります。
幻では、ありません。普通にあるものです。普通にあるものを、幻とは言いません。
五教は、掴み方が一教と、違います。親指を外側へ、回外して、四指が下のまま掴みます。そこからの崩しは一教と同じです。
一教は剣の握りですか、五教は杖の払いなどで使います。剣術、杖術、体術をそれぞれ学び、全てが一致であると知るのが、合氣道です。
そして、手首をきめるときもあります。抑えている手首を畳に触らせたまま、受けの脇に移動させます。結果、受けの肘は上がります。肘を押し、受けの手首をきめますが、小指側は稼動域が広く、ききづらいので、親指側の方へきめます。
横面打ち短刀取りは、受けの手が開き、短刀が握れなくなったところを蹴って、短刀を離すものです。
「足の指は開いて、カッと反らして、拇指球で蹴るように。爪先で蹴ってはいけない。」
齋藤先生の教えです。これは、前蹴りの形にもなります。
5/26
技考99(一日一考)。五教の話4。
「五教は、五教の取り方で行う。」
「肘を掴んだ手は離さない。手首を圧迫して、滑らすように短刀を取る。」
齋藤守弘先生の言葉です。
短刀取りで、よく稽古する技ですが、武器取りだけでなく、横面打ち、正面打ちの五教があります。
横面打ち一教から二教と進めていって、道場の一時間稽古で五教、続いての六教まで行くことがあります。
合気会の一級、初段審査にも座り技横面打ち五教があります。
幻では、ありません。普通にあるものです。普通にあるものを、幻とは言いません。
五教は、掴み方が一教と、違います。親指を外側へ、回外して、四指が下のまま掴みます。そこからの崩しは一教と同じです。
一教は剣の握りですか、五教は杖の払いなどで使います。剣術、杖術、体術をそれぞれ学び、全てが一致であると知るのが、合氣道です。
そして、短刀取りもあります。前回書いた、受けの肘を上げるものと、受けの腕を伸ばして、腿にかけ、肘を押しながら、受けの腕を斜めに抑えて、手首を圧迫して短刀取りも取るものがあります。その際、肘を責める手を離さないように。一本の動画に肘から手を離して、短刀を取る形もありますが、肘から手を離す形は、隙を与えますので、行わないほうが良いです。それに、教わっていません。
5/27
技考100(一日一考)。岩間武産の話1。
おかけさまで、100回(連続100日投稿)記念。
「大先生に習ったという先生が各地にいる。君たちはいろいろ見聞きして、勉強してくるとよい。」
「僕には自由がない。なぜなら、ここは大先生の道場。だから、道場を内弟子たちと手入れして、守って、大先生が教えたとおりにやる。しかし、いろんな先生を見てきたが、大先生を超えた人は、見たことがない。」
齋藤先生の言葉です。演武会で多くの技を見て、自身が演武して、道場に帰ってきた後、心底そう思うように言っていました。
「大先生に付いて、23年。門人は皆、東京など岩間を離れたが、大先生は僕を手放す気はなかったし、僕も大先生から離れる気はなかった。最晩年、病気になったとき、僕に会うと岩間に帰りたがるので、本部は大先生に会わないでくれと頼んだ。」
大先生と齋藤先生は結び、繋がっています。
「大先生が自分で歩けなくなって、ようやく見舞いができた。大先生は、僕が帰るときに、僕に手を合わせてくれた。師匠が弟子に手を合わせたんだ。この時に、大先生の氣が移った。気持ちをいただいた。」
涙ぐみながら、話してくれたことがあります。
「大先生は1から僕を教えてくれ、僕は全てを教わった。」
「だから、東京で教えることになって、本部道場で武器技を教えたときも、大先生は何も言わなかった。他の先生は、剣を持っただけで、怒られた。」
私たちは齋藤先生のおかげで、なんの制限なく、大先生の技に近づくことができます。ありがたいことです。真摯に稽古に邁進すること、それが合氣道人たるつとめです。


101〜